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Product Design WEBプロダクトデザインの総合Webマガジン * NewsSpecialInterviewColumnReviewTechniqueCase StudyData & LinkEditor's NoteContact Us
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Special Index
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●3Dプリンタのすべて
本編へ

●新世代デザイナーのグランドデザイン
 第2回:中川政七商店
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 第1回:TENT
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●素材とデザイン
 第8回:AZiS
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 第7回:益基樹脂/mass item
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 第6回:吉田カバン
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 第5回:能作
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 第4回:山田平安堂
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 第3回:FACTRON
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 第2回:Hacoa
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 第1回:かみの工作所/TERADA MOKEI
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●女性デザイナーによる最新プロダクト大集合! [インテリア/テーブルウェア編]
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●最新デザインツールのすべて[2013 Spring]
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●Special Talk in Summer
 小牟田啓博、デザインプロデューサーの仕事を語る
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 暑い夏に熱く語る! 真夏の夜の男子会
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●pdweb座談会 モデル造形の可能性を考える
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●3Dプリンタ特選ガイド
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●特選デジタルツール2011「我が社の一押し最新デザインツール」
Zコーポレーション/スリーディー・システムズ・ジャパン/アプリクラフト/スペースクレイム/豊通マシナリー

●プロダクトデザイナーのためのCAE活用術
part1 デザイナーのためのCAE概論
part2 最新製品ガイド

●特選デジタルツール2010「我が社の一押し最新デザインツール」
part1 概論:より効果的なプレゼンを行うための最新ツール使いこなし
part2 最新製品ガイド

●新世代デザイナーたちのモノ作り
 第6回:シラスノリユキ/color
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 第5回:福間祥乃/PRIMITIVE MODERN
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 第4回:参
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 第3回:MicroWorks/海山俊亮
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 第2回:NOSIGNER
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 第1回:田川欣哉/takram
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●新春スペシャル対談「デザインディケイド2010」
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●特選デジタルツール2010「我が社の一押し最新デザインツール」
part1 スリー・ディー・エス/サイバネットシステム/ボーンデジタル/アプリクラフト/グラフィックプロダクツ/マクソンコンピュータ
part2 オートデスク/ソリッドワークス・ジャパン

●これが人気プロダクトの生産現場だ!
Part5
陶磁器に新しい命を吹き込むモノ作りの妙「セラミック・ジャパン」
(愛知県瀬戸市)
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Part4
プライウッドによる自在なデザインが魅力のインテリア「天童木工」
(山形県天童市)
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Part3
高岡銅器の伝統が生きるフラワーベース「ASIWAI」
(富山県高岡市美幸町)
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Part2
古くて新しい、ガラス製品の加工現場に迫る
菅原工芸硝子(千葉県山武郡九十九里町)
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Part1
秋田道夫デザインの文具Primarioシリーズを作る
「takeda design project」(新潟県燕三条)
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●次世代デザイナーズFILE
| 1980年生以降まれのデザイナー
| 1975〜1979年生まれのデザイナー
| 1970〜1974年生まれのデザイナー その2
| 1970〜1974年生まれのデザイナー その1

●新春スペシャル対談:今、デザインを取り巻く環境
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●デジタルデザイン最新ツールガイド
・Part7 Peripherals
・Part6 WS(ワークステーション)
・Part5 RP/3Dプリンタ
・Part4 CAE/CAM
・Part3 2D CG/2D CAD
・Part2 3D CAD/3D CG(レンダリング系)
・Part1 3D CAD/3D CG(モデリング系)

●デザイン家電の匠たち
・Part5 深澤直人氏デザインの「±0」シリーズ
・Part4 柴田文江デザインの「象印ZUTTOシリーズ」
| Chapter01 堀本光則氏Chapter02 柴田文江氏
・Part3 鄭秀和
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・Part2 村田智明
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・Part1 秋田道夫
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●デザイナーのためのモデル制作の最先端
・Part 5 さまざまなモデル出力機の特徴を知る
・Part 4 モデル制作関連のサービスビューロー一覧
・Part 3 モデル出力機、その仕組みと種類
・Part 2 モデルの入力と編集のためのシステム
・Part 1 はじめに

●理想のモデリングツールを考える
・Part 3 デジタルデザインの課題
・Part 2 カタチ作りとインターフェイス
・Part 1 デザイナーとCAD、バトルの歴史

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* pd WEB Interview
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新世代デザイナーのグランドデザイン

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話を聞いた中川政七商店の13代目代表取締役社長、中川 淳氏

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●「遊 中川」の定番商品より
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真田紐 トートバッグ(大)。2002年発売以来の定番バッグ(クリックで拡大)
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花ふきん。2008年グッドデザイン賞金賞受賞(クリックで拡大)
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鹿の家族 マグネットしおり。奈良公園に暮らす鹿の家族をイメージ(クリックで拡大)


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●粋更kisaraの定番商品より
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漆の小さなハートピンバッジ(クリックで拡大)
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筆ペン 鹿紋。正倉院文様をモチーフにした鹿をあしらう(クリックで拡大)
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紅白花火玉お菓子。打ち上げ花火の玉の中に紅白の飴(クリックで拡大)

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●中川政七商店の定番商品より
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綿麻エコバッグ 生成。綿麻の厚手の柔らかい生地。畳むとかさ張らず収納力たっぷりのエコバッグ(クリックで拡大)
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道具箱。静岡の地場産業による天然木の木工製品。救急箱、裁縫箱、化粧箱などの用途に自由に使える道具箱(クリックで拡大)
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缶入り嘉兵衛番茶。奈良吉野の昔ながらの製法による香り高くあっさりとした味わいの嘉兵衛番茶(ほうじ茶)。中川政七商店オリジナルのブリキ缶入り(クリックで拡大)

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最近、さまざまなWebサイトで中川政七商店のバナーをよく見かける。センスの良い生活雑貨を開発・販売する中川政七商店は、単なるメーカーではなく、業界特化型コンサルティングなども行い、モノ作りから販売まで、日本全国の地場産業の活性化に尽力している。日本の伝統工芸の未来のグランドデザイン考え実践している、中川政七商店の13代目代表取締役社長、中川 淳氏に話を聞いた。

中川政七商店
http://www.yu-nakagawa.co.jp/


【プロフィール】
中川 淳 Jun Nakagawa
1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年株式会社中川政七商店入社。「遊 中川」の直営店展開を軸に、日本初の工芸をベースにしたSPA業態を確立。2003年に新ブランド「粋更kisara」を立上げ、2008年十三代社長に就任。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンの基、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。著書に「奈良の小さな会社が 表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。」「ブランドのはじめかた」など。

●伝統工芸をブランド化し小売展開

−−中川政七商店は奈良の歴史ある会社ですが、まず簡単に現在に至る経緯を振り返っていただけますか。

中川:創業は1716年になります。当時は「奈良ざらし」と呼ばれる麻織物が隆盛を極めておりまして、奈良町、今の遊 中川の本店のある辺りには、当店も含め、羽振りのよい問屋さんが多かったと、井原西鶴の「世間胸算用」にも一節が出てきます。当店も農村部で織られた奈良ざらしの製品を全国の呉服屋さんに卸していたのですが、中でも武士の裃(かみしも)は、江戸幕府の御用品指定も受けていました。ところが明治になって武士がいなくなって、かつ他の産地の台頭もあり、奈良は産地としてはほぼ壊滅状態にまでなって、私の曾祖父にあたる10代政七が問屋から、自分たちで機場、さらし場を立て、織子さんを集め、製造を始めました。明治には製造問屋になったわけです。

基本は問屋業ですが、生地の他、お茶道具の茶巾など加工度の低い製品も取り扱い始めました。こういった家内制手工業の延長のような形態で、祖父の11代巖吉まで続きます。

父は大学卒業後オンワード樫山に勤めていて、30過ぎてから家業を継ぎました。父はお茶道具の総合卸問屋として茶碗、棗、釜など全部扱う業態にしていきました。それでだいぶ会社らしくなってきて、その課程で1983年に株式会社にして、そのタイミングでもともと麻問屋だったので、改めて麻を使った一般向け製品を扱い始めました。コースターとか暖簾などですね。これが遊 中川の始まりです。

遊 中川は、はじめは小売業というよりメーカーが地元に店を持っている程度でした。私が富士通を退社後、戻ってきたのが2002年ですが、2001年に東京・恵比寿にショールーム兼営業所の路面店をオープンしました。その頃から伊勢丹や玉川高島屋さんに出店しなかと声をかけていただくようになってきました。

私の代になって、これからは小売に注力しないと難しいと感じていましたので、自分たちでお客様にモノを届ける。モノだけではなくの後ろにあるものまで届けていかないと、価格競争に巻き込まれるという危機感を持っていました。価格競争に巻き込まれたら負けるのははっきりしていましたから。

現在34店舗に至るのですが、約10年掛けて、伝統工芸をベースにしたSPA(製造直販型専門店)業態を作り上げていきました。

−−小売業を拡張することが、13代社長の中川さんの基本戦略だったわけですね。

中川:父は私が小売にシフトすると言ったとき、人件費、店頭在庫を抱えるなどの面で、反対しました。私も10店舗くらいまではビジネスベースに乗らないと分かっていましたが、小売を行わないと、将来はないとの一心でした。

−−伝統工芸を守るためですか。

中川:当社の商品は、布巾などもそうですが、特殊な技術が使われているわけでもありません。コピーしようと思えばいくらでもできます。実際そういったモノも出回っていますし、値段勝負になると中国製などには負けます。では勝ち目がないのかというと、そうでもないのではないかと考えました。商品そのものだけで決まるわけではなく、それにまつわるいろいろなことすべてでお客さんは購入判断します。それがつまりブランドだと思います。ブランドにおける商品そのものの占有率は3〜4割で、残りの6〜7割の戦い方で十分やっていけると考えています。

−−つまり中川社長の代になって、ブランドを確立された。

中川:それを志したということです。

−−それまでの商品はいわゆる伝統工芸的な味わい、テイストだったんですか?

中川:テイストとしては多少伝統的な色合いが強かったと思いますけれど、テイストが大切かというとそれほど重要視していません。それより後ろにあるものが大切です。つまりブランドとしての考え方、会社の姿勢、といった背景です。

●コンサルティングで地場産業の息を吹き返す

−−富士通にお勤めの当時から、やがて家業を継ぐお考えだったのですか?

中川:いや、ぜんぜん考えていなかったです。家の状況もよく知らなかったですし、継げと言われたことも一度もなかったです。

大学卒業後、富士通に2年いたんですけれど、若かったので調子に乗っていたところはあったのですが、プロジェクトマネージャーとして数字を持っていたので、次のステップにいきたかったのですが、大企業ですので、あと10年は現在の仕事を続けなければならないことが見えてきて、退屈さを感じて、転職を考えました。ITはあまり興味がなかったので、小さな会社でかつ伸びている会社を探しました。そういった中で、そういえば中川政七商店は自分の条件に合致することに気づき、父に戻ると告げたら、最初「アカン」と言われて(笑)。そこで頭下げて、入社させてもらいました。

−−どんな仕事から始めたのですか。

中川:父はお茶道具をやっていて、当時母が雑貨を担当していたのですが、私は雑貨の方を引き継ぎました。当時雑貨事業は赤字だったので、それを立て直しながらこれからどう戦っていくのかを思い描いていました。

−−麻製品ということで、雑貨の方が中川政七商店の本流だったのですよね?

中川:元をたどれば麻屋ですが、麻は茶巾にも使われていますし、お茶道具も雑貨も両方ともつながっていますね。

−−中川さんが入社当時の2002年と現在では事業規模はどれくらい変化しましたか?

中川:2002年当時、売上は4億円、正社員が10人でした。現在が26億円、120人となりました。

−−急成長ですね。中川社長の戦略に小売店の拡大路線があり、その根底には「日本の工芸を元気にする!」という御社のビジョンがあります。そういった危機感が成功のポイントでしょうか。

中川:中川政七は歴史はあるけれど、家訓、社是もない会社でした。それじゃいけないだろうと考えていく中で、2007年に「日本の工芸を元気にする!」を掲げました。それに思い至ったのは、その頃、取引のある仕入れ先が毎年3社くらい、廃業の挨拶に来られる。このままではまずいという意識を持ちました。これは麻製品も陶器もガラスも同じ状況かもしれない。日本のモノがどんどん失われていくのは一消費者としても残念です。

−−伝統産業の衰退を肌で感じられたわけですね。

中川:ただビジョンを掲げただけでは何も変わらないので、まず、地場産業のコンサルティングを始めようと思いました。コンサルといっても、当社はコンサル会社ではないので、どこからも依頼が来ません。そこで、書籍を出して、コンサルを行う宣言をしたのです。それが「奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。」(2008年、日経BP出版センター刊)という本です。それをきっかけに長崎の陶磁器メーカー、波佐見焼のマルヒロさんから連絡があって、初のコンサル業務を行いました。そこでは単にデザインプロデュースではなく、モノを生み出していく仕組みから考え直し、整備していきました。約1年後の2010年6月に新ブランドの「HASAMI」を発表して、これが業界で大ヒットになりました。現在は業績も好調です。

−−コンサルティングによって新ブランドを立ち上げる手法は昔から行われていました。

中川:地場産業にデザイナーやプロデューサーが入って、新ブランドを起こすことはみなさん行っていますが、実際、成功例が少ないのが現状でした。何故売れないかというと、作った後の流通まで考えられていないケースが多かったからだと思います。中川政七商店は卸もやっているので、流通までフォローできるのが強みです。そういったコンサルをさせていただいた各社による展示会が今の「大日本市」につながります。モノ作りから流通システムまで用意できるコンサル会社は当社だけだと思います。

−−なるほど。コンサル業務は、2002年から2008年頃に至るまでの、社長ご自身の会社経営の経験に基づいてということでしょうか。

中川:そうです。それ以外の何物でもないです。地場産業というのは産地問屋さんがあって、職人さんたちはいわば「製造部」なんです。産地問屋さんが機能しなくなってくると、職人さんたちはただ受注したモノを作るのではなく、自ら経営者としてモノ作りを考えなければならなくなります。そこがコンサルティングの1つのポイントです。これまで約10社のコンサルティングをやらせていただきましたが、いずれの会社も経営的に回復しています。

−−成功例ばかりというのはすごいですね。ちなみにコンサル料はどのような契約ですか。

中川:コンサルフィーは月々定額いただいていますが、そこでペイするわけではなく、ウチは流通があるので、一緒に開発した商品が売れれば、販売手数料が入ってくるという流れですね。さらに弊社のモノ作りのOEM先としても関係が生きてくれば双方メリットがあると思います。

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