●大自然の中で生きる
雄大な平原の中で育ち、先祖や土地の精霊、土や風、太陽と一体となって生きていく。私たち炭酸デザイン室が大切にしている、自然の中からデザインが生まれ生活に溶け合っていくということ。モンゴルではその根源的な意識が加速する感覚を覚えた。
少し前の話だが、2014年に妻である水野若菜と炭酸デザイン室を立ち上げその翌年の夏、ある仕事の依頼で3週間ほど、2人モンゴルのウランバートルへ行くことになった。それは長く日本に住んでいたモンゴル人の画家が、ウランバートルでフェルトの制作会社を設立するのでデザイン指導に来てほしいという依頼だった。モンゴルのもっとも有名な特産物であるフェルト製品。フェルトは私が東京造形大学在学時代から研究し続けてきたもので、それらの作品や妻の描く作品に興味を持ってもらったことがきっかけだった。
モンゴル人は、標高の高い寒く乾燥した大地の厳しい気候の中で暮らしている。自然の雄大さと厳しさを肌で感じて生きているため、信仰と宗教が生活にとても密接で、描かれるものの色や形には必ず意味があり、ひとつ一つが大切な役割をしている。そこには目に見えない神が宿っていると感じた。
オーナーには、信仰という決まった柄の縛りを超えて、モンゴル人に自由な発想で絵を描き表現していいということを教えてほしい、「デザイン」という概念を伝えてほしい、という想いがあった。そして、女性やゲル(移動式住居)で暮らす貧しい人たちのために雇用を与えるという目的もあった。
チンギス・ハーン空港でオーナーと落ち合い、連れられるがまま、とある会社の建物の1室に入った。会社を設立すると聞いていたので、さぞオフィスのようなところと思っていたが、そこはただの何もないがらんとした部屋で、ソファー1つと棚があるだけだった。制作するための机や椅子、道具や材料は何も揃っていなく、水も水道はなく雨水を溜めたものだった。まず、これから一緒に準備しようということで、作業しやすい机を作るためにその場で金属の切断、溶接から始まった。ガタイの良い男性が高速切断機で火の粉を飛ばしながら屋内で金属をカットしている。大変なところに来てしまったなと少し不安になった初日だった。
そして材料を調達するために、市内にある露天のマーケットへ行くことになり、スリに気をつけながら羊毛や副資材、IHヒーターなど必要なものを買い揃えた。染料のお店も探したが、人通りの少ない集合住宅地の地下の薄暗い部屋に通され、何だか怪しい取引をしているような雰囲気だった。こんな具合に、材料を揃えるにも緊張感が半端ではなかった。
●祈りの絵
制作に関わってくれる従業員の方たちは、今までフェルトの工場で働いていたわけではないが、羊毛の扱いはとても上手で、ふわふわの羊毛からあっという間に厚めの靴下を作って見せてくれた。ゲルでの生活では羊毛の温かさに頼らないと生きていけないから、皆作ることができるのだった。
ある日、従業員のお宅に招かれた時に、ゲルの中を見上げると分厚い羊毛のフェルトが組まれた木で支えられ、地面の床にはカーペット、真ん中に鉄製のストーブがあり、木の柱がゲルを支えていた。驚いたがモンゴルでは木は金属よりの高価なもの。その木の柱には、空、風、太陽の柄が描かれていて、平原という屈強な場で住むための”祈りの絵”だという。
自然を敬い、恐れる。自分たちの暮らす土地は祖先や自然の力によって守られている。ここにモンゴルの精神性を垣間見ることができた。そもそも芸術や美術とは、このような極限の状態が生み出す精神世界への入り口を示すものなのではと思いながら、あらゆるところに神が宿っているように感じた。妻の実家がお寺だということもあり、私自身宗教と生き方に関して興味を抱いていた頃で、雄大な自然と信仰と芸術が一体となって生活に密接している光景に衝撃を受けた。
●シャーマン
厳しい環境の中での生活のため、人々は助けあって生きている。みんなすぐに仲良くなり、休みの日は家族やパートナーを紹介して家に招いてくれた。また別の日にはある従業員が、満月の冴えた夜に平原だけが広がる道を車で何時間か行った先の静かな自宅へ招いてくれた。早速ゲルに入ると、ストーブの灯りの薄暗い中で何か始めるらしい。奥の壁には見慣れない年代物の道具や衣服が火の揺めきの中でチラチラと光っていた。古そうな武具もあった。実はその従業員は現地の人でも滅多に出会うことがないシャーマンだった。
今日は月が満ちている。そう言って月の神秘とパワーをいただきながら儀式が始まった。いろいろな人物がシャーマンの身体を借りて語りかけてきた。息をするのも身動きすることもはばかられる緊張感の中で、恐ろしく、美しく、長い歴史を感じたひと時だった。儀式が終わると一気に空気が変わり、和やかな空気が流れたと思うが、衝撃が強すぎてその後のことはよく覚えていない。
●その土地に生かされる
羊と歩き、羊の乳を飲み、羊の肉を食べ、羊を着て、羊でできた家で、羊の骨でゲームをし、羊の糞を固めた燃料を燃やし暖をとって暮らす。国土の7割が草原であり、標高も緯度も高いため育つ木も少なく土壌が痩せており、野菜もお店に並ぶのはほんの小さな根菜程度。基本的に肉食で厳しい環境だが、地球にとって負荷も少なく無駄が一切ない生き方。出会った遊牧民の人々は皆歯が真っ白で、目がとても良かった。常に遠くの羊を見、羊の乳から作った、歯が折れそうなほど固い携帯食を常に食べているお陰のようだ。
ウランバートルではマンションや近代的な建物が建ち、経済成長が著しい。モンゴルでは昔々から続いている暮らしと現代的な都市の暮らしの両面を見ることができた。経済成長と共に人々の意識は変わりつつある。
しかし、身近な自然や物自体に信仰が根づいており、身の回りの自然の中にある自分たちの限られた資源の中から物が作られている。自然とともに、生活しながら必要なものを作る。この考え方がモンゴルのすべてだと感じた。その土地の祖先や神様、その土地から生まれる表現なくしてモンゴルの表現と言えるのか。アニミズム(精霊信仰)とシャーマニズムが混在し、その土地が自分を作り生かされ、暮らしを作りあげているということを感じた。
モンゴルには教える立場で行ったが、教えられることばかりで、日本に帰国しても同じように感じることができるようになった。炭酸デザイン室として、その土地に根付く自然や文化を敬愛し、自然のものをいただきながら呼吸するように絵を描き、ものをつくり、デザインし、自然な関係でいられるようなものづくりでいたいと考えるようになった。
モンゴル人はモンゴル料理が大好きで、他国の料理はあまり食べないらしい。開発途中の街には飲食店はほとんどモンゴル料理店しかない。日に日に現地の味を美味しく感じていく妻と、日に日にお腹を崩していく私。日本に帰る前日にゲルのお宅に皆が集まり、真ん中のストーブで羊の料理をご馳走になった。茹であがった羊のつながった臓物の塊を鋭いナイフを使って空で切り落としながら部位を説明してくれ、食べさせてもらった。脂がすごく、一瞬で口の中で固まるので、身体を温めるために羊の乳でできたお酒(馬乳酒ならぬ羊乳酒?)が欠かせない。どれも強烈だったが私たちには欠かせない風土を感じる特別な体験となった。
生きること、作ること、節々に神を、自然を感じる時間だった。そんな感覚をすでに持ち合わせ、当たり前に生活している人々がここにはいた。
(2024年4月12日更新)
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▲オフィスでのフェルトの指導風景。(クリックで拡大)
▲モンゴル最大の市場「ナラントールザハ」で材料調達。(クリックで拡大)
▲オフィスがあるゲル地区の風景。(クリックで拡大)
▲街から一歩外を出ると、遊牧されている家畜がたくさん。(クリックで拡大)
▲羊の骨のゲーム。骨の向きでモンゴルの4種類の動物を表す。(クリックで拡大)
▲太陽が沈み、山の稜線が浮かび上がる。満月の夜の始まり。 (クリックで拡大)
▲ゲルの木の骨組みの装飾。祈りの絵が描かれている。(クリックで拡大)
▲宿泊したゲルに日の光が差し込む。(クリックで拡大)
▲羊の臓物の鍋。左にあるのは羊の乳を固めた食べ物。(クリックで拡大)
▲炭酸デザイン室の西陣織による作品「光る山」。妻の実家である寺では西陣織は身近な存在。生まれた時からの身近な寺の山の風景を描いている。(クリックで拡大)
▲沖縄にあるカフェのために描いた壁画。沖縄の風を感じながら沖縄に自生するいきいきとした植物を描いた。(クリックで拡大)
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