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コラム

神が潜むデザイン

第56回:神の繕い/栗生はるか

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト [プロフィール]
栗生はるか(くりゅう はるか)。一般社団法人せんとうとまち代表理事、文京建築会ユース代表。早稲田大学大学院で建築を学び、ヴェネツィアへ留学。株式会社NHKアートを経て、大学で建築教育に携わる。法政大学、慶應義塾大学SFC非常勤講師。法政大学 江戸東京研究センター客員研究員として、都市空間とコミュニティについて研究。地域の魅力をさまざまな角度から発信するとともに、銭湯と周辺地域の再生活動を展開している。空家を活用した地域サロンなども運営中。

Ph:TADA



●「繕い」の痕跡

数年前から地域の古い建物に出入りすることが多い。

銭湯や旅館、喫茶店など人々に親しまれてきた歴史ある空間に関わる日々の中で、無性に興奮する瞬間がある。それは過去の担い手たちの「繕い」の痕跡だ。丁寧に継がれた材、つぎはぎの障子、工夫を凝らして埋め合わされたタイル……一瞬見ただけでは見落としてしまうような些細な部分に、先人たちの愛情が注がれている。

どれも、傷んだから、劣化したから、壊れたからといった理由で取り替えられてしまうことなく、大切に手当てがなされ延命されている。その細やかで丁寧な仕事に“神”が宿っていると感じる。

以前、解体の危機にあった東京・本郷の老舗旅館、「鳳明館」森川別館に泊まり込んだことがある(2023年現在、幸い解体を免れた鳳明館は現存している)。3館ある鳳明館の中でも森川別館は、トイレや風呂、洗面とあらゆる水回りに敷き詰められた凝ったパターンのモザイクタイルが特徴的だ。通常目立たない、どちらかと言えば隠したいスペースの数々が、どれも違う色合いや形状のタイルで装飾され、存在感を放っている。じっくりと堪能したい欲求に駆られた私は、ひとり早朝5時に起き、朝の光に照らされたそれらをこっそりと満喫することにした。

館内の共同トイレや風呂場を覗いては、這いつくばって舐めるように眺める……そんな変態的な動きを繰り返している中で、洗面台の1つに目がとまる。1センチ角にも満たないモザイクタイルのランダムな柄の中にちょっと変わった並びが混ざっている(写真1)。似たような色合いながらも異なる数種類の色でバランスよく埋められた可愛らしい洗面台の縁(写真2)。同色のタイルのストックがなかったからなのか、むしろそれがお洒落な風合いだ。

ふと別の洗面台を見てみると、ここも同様。一番痛みそうな部分のタイルが張り替えられている。こちらはランダムに形状の違うタイルが並んでいるが、そこをまた異なるタイルで不自然にならないように綺麗に埋められている(写真3)。

それらに気づき始めてから、森川別館の各所に残るタイルの繕いが気になって仕方なくなった。どこもただ無造作に直しているわけではなく、少しでも見栄えがするようにセンスを凝らした修繕がされている(写真4、5)。先のモザイクタイルのようにすっかり馴染んで気付かないものもあれば、現代アートのような奇抜で大胆なコラージュもある(写真6)。

●身体化された建築

何十年も毎日使われてきたそれらの空間は、タイルのみならず至る所に“ほつれ”が生じる。ただ、残念なことにそのような古い建物に使われているかつての良質な材料の多くは、もはや簡単には手に入らない。同様に、かつての優れた職人も職人技も風前の灯だ。なんとか運よくどちらも手配できたとしても高額になってしまう。そのような時代の流れの中、古い建物を大切に引き継いできた人々は、壊れてもなんとか使い続けられないかと、いみじくも元の様子を見よう見まねで繕っている。以前、同じく本郷の旅館「朝陽館」で出会った三代目当主や、千石にあった「おとめ湯」という銭湯の旦那などは特に職人気質で、それこそ建物の不具合はなんでも自分で直していた。

彼らは、どんなに広くてもどんなに複雑にできていても、「不具合が起こると不思議と自分の身体のように分かる」と、口を揃えて語る。「あそこから雨水が漏れそう」、「あのあたりが痛がっている」……それは毎日毎晩何十年、その空間とともに生き、その声を聞き、向き合い、手当てをしてきた人々ならではの感覚であり、一朝一夜で言えるような言葉ではない。彼らは長い時間をかけて空間をある意味“身体化”してきた。

ある時、朝陽館の三代目が玄関の棚をざっと開けると、木材や工具がぎゅうぎゅうに詰まっていた(写真7)。40部屋以上抱えていたこの旅館は相当な規模であったが、そこに建物のあらゆる箇所を直すための多種多様な部材が大切に取り揃えられていたのだ。そんな店主は戦後の材料不足の中、大工と共に木場へ出向き、木材を買い付けては一部屋一部屋趣向を凝らしてともに創作したという話を楽しそうに語ってくれた。

おとめ湯の旦那もカメラや自動車などの機械類が好きで、何でも自分で直してしまうような人だった。お店の発信のためにインターネットの利用を勧めた際も、「造りを理解できないものは使いたいくない」と頑なだった。

自分がその造りを把握し、直せるものでないと向き合いたくない。愛される空間は、そういったこだわりや手仕事に支えられていた。安易な消費が加速する社会の中で、建物やモノとの寄り添い方、向き合い方の真髄を考えさせられる。丹念に造られ、大切に引き継いできたそれらを大事に使い続けたいという、現代人が失ってしまった日本人の美徳に触れる瞬間だった。

朝陽館もおとめ湯もすでに廃業し解体済み。建物と一体化していた彼らの日常も同時に消え去った(写真8)。

●唯一無二の証拠

我々はそのような空間を引き継いでいく地域活動の中で、取り壊される直前、苦し紛れにさまざまな手法で記録を取る。その中でも最先端な記録方法として3Dスキャンを用い、詳細な点群データで記録を取ることもしている。かつてあった素晴らしい空間を、いつでも再現できるような精巧なデータだ。

しかし、そのデータを活用してかつての建物のコピーを作ろうにも、このような「繕い」は再現されないだろう。データを元に再生されたとしても、わざわざ“ほつれ”たところは再現しない。新たに作り直すのなら“ほつれ”を再現する意味はない。

そう考えると、このような“繕われた”部分は、その年月や物語を表す唯一無二の証拠と言える。そこにはかけがえのない“神”ともいえる尊い担い手たちの魂がこもっているように感じる。


(2023年11月24日更新)



▲写真1:「鳳明館」森川別館の洗面台の1つ。(クリックで拡大)


▲写真2:同洗面台のクローズアップ。痛んだ部分のタイルが異なる色で張り替えられている。(クリックで拡大)


▲写真3:同旅館の洗面台の1つ。よく見ると明らかに異なるタイルが潜んでいる。(クリックで拡大)


▲写真4:同旅館のトイレの1つ。左上部分を色違いのタイルで補修。(クリックで拡大)


▲写真5:同旅館のトイレの1つ。便器を和式から洋式にした際の痕跡をタイルで補修。(クリックで拡大)


▲写真6:同旅館の風呂。色合いも形状も違うタイルで大胆に補修。(クリックで拡大)




▲写真7:「朝陽館」の材料置き場。(クリックで拡大)


▲写真8:「おとめ湯」を維持してきた夫妻による毎日の雑巾掛けの様子。(クリックで拡大)





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