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コラム

神が潜むデザイン

第52回:ドゴンには神様がいっぱい/樫村芙実

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト [プロフィール]
樫村芙実(かしむら ふみ):1983年横浜生まれ。2007年東京藝術大学大学院修了。2011年TERRAIN architectsを小林一行と共同設立。主な作品に、やま仙/Yamasen Japanese Restaurant (2018年、AND賞最優秀賞・グッドデザイン金賞)、AU dormitory (2015年、アガカーン建築賞ファイナリスト)など。現在、東京藝術大学准教授。
https://terrain-arch.com/



鈍い細部にも神を感じることがある、という話をしようと思います。吸う息が喉に熱い、そんな灼熱のサハラ砂漠の集落での話です。今から15年前の2008年、ヨーロッパから深夜の飛行機で降り立った初めてのサブサハラアフリカであったマリ共和国で、手跡の残る、無骨で生々しいデザインに出会いました。それまで、精度の高さを優とする私の小さな物差しが、ぐっと押し広げられました。

●ドゴンのはしご


国際空港のある首都バマコは、舗装された道路や中高層ビルも建つ近代都市ですが、そこからトラックやバイクを乗り継いで到着したバンディアガラの崖下にある集落は都市インフラとは隔絶され、厳しい気候に放り出されたような環境の中にありました。

村を形作る200余りの小さな建築すべてが日干し煉瓦でできており、壁仕上げの泥は毎年素手で塗り重ねるのですべてのエッジがあまく、集落のどこにも水平や直角が感じられません。泥以外の唯一の素材は木。窓やドア、はしごが木で作られていて、くぼみや紋様が荒々しく刻まれていました。

ドゴンのはしご「Dogon ladder」と言えば、実用品でありながら、あまりにシンプルが故の抽象的な造形が評価されて、ヨーロッパや日本でも美術品として取引されており、あんな僻地からどうやって海を渡ったのだろうと想像すると、そこに「略奪」「搾取」といった言葉が頭をよぎりますが、どうやら、1970年代の干ばつに苦しんだいくつもの集落が、収入を得るために自ら手放したこともきっかけにあるようです。ショーケースに守られて展示されたはしごもまた別の味わいはありますが、その「鈍さ」を魅力として語るには、太陽のこと、ドゴンに乾きと光をもたらす太陽の話をしなければいけません。

日本でも摂氏40度を超えたというニュースが珍しくなくなってきましたが、乾季のマリは連日40度を超え、人間にはどうにもならない暑さ、ただひたすら熱い空気がありました。その土地に生まれ、そこで生きていくためには、暑さを自分たちの生活に引き寄せ手懐けるのではなく、太陽のサイクルに合わせて、暑さの隙に働き、休息をとる、そんな知恵を持って人々は生きています。

光のことを語るなら、壁も床も天井も同じ泥でできた場所で夕焼けの光に包まれる体験は見事でした。丸1日太陽に晒された地面がまだ火照る中、砂漠の向こうの地平線に向けて沈む太陽が少しずつ高度を下げ、赤みを帯びた光が家家の間に差し込み、次第にそれが充満して、四周がぼわりと同色に染まる瞬間。その後光は青みを帯びながら弱まって、やがて村は暗闇に包まれ、しばらくして、星と月明かりの時間がやってきます。月は明るく、静かに隣家を訪れお茶を楽しむ時間です。

太陽とともに表情を変える泥を背景に、粗く加工された木が随所に散らばっています。泥と木は互いに馴染もうとするでもなく拒絶するでもなく同居していて、木の加工は粗く表面は乾いており、日中の光の中ではどちらの素材も同色で素朴な陰影をともに作り出しています。それでいて、木は道具を使って刻まれた凹凸が残されているからか、近づいていくと繊細に感じられる。藍染の布をまとった黒人の手には金色のゴツい指輪がはめられていて、その手が重い扉を開けるその仕草は、暑さのせいでゆっくりなだけかもしれないのに、実に優雅でした。

鈍い細部が魅力的なのは、それが人の技術の低さではなく、素材の生々しい有り様を伝えるからだと思います。生活することで精一杯の厳しい環境にあって、人の手跡の残る加工は、それに争わず寄り添って暮らす人々を象徴するようです。神の作った世界に許されて住んでいる、そんな謙虚なくらし。事実、そこには神様がいっぱいいて、小さな村にはモスクと教会が同居し、古い穀物庫は妖精が住んでいたとも言い伝えられていました。

●素材の荒々しさと技術

さて、建築家なしの建築が持つ魅力を、建築家である私が意図的に作り出すことはできませんが、あの時新しく蓄えた「粗さ」に対する物差しは、アフリカのウガンダでの設計において、精度の高いものと低いものをどのように同居させるか、というチャレンジに欠かせないものになっています。

粗さを良しとしない価値観は広がりつつあり、素材の素朴さをそのまま残しても、ただ醜いものとしてうつってしまいます。モルタルで隠される煉瓦、電柱に使われる丸太、それらをステージに上げ他の素材と共演させるために、よき塩梅で加工し、バランスをとる。人工的な技術による加工が前面に出ないように。それは、赤道直下にありながら海抜が高く大変快適なウガンダの気候が、完成した建築空間よりも、先だって感じられたら、と思うからです。



(2023年7月7日更新)





▲ドゴン、テリ村から崖地の集落を見上げたところ。(クリックで拡大)


▲はしごの窪みにはつま先がほんの少し引っかかるだけなので、運動神経がごく普通の私には、なかなかの代物でした。(クリックで拡大)


▲夕焼けの写真は残っておらず、モスクのシルエットが浮かびあがる、これ1枚くらいのものです。(クリックで拡大)







TERAKOYAのディテール。(クリックで拡大)


▲壁のない屋根のみのユニットも、目論見通り、教室としても使われています。(クリックで拡大)


▲ユーカリの粗い木肌は、子供たちが手をかけてぐるっと回るのにちょうど良いようです。(クリックで拡大)




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