●人と空間がデジタルを媒介に接触
手掛けて12年経ち、今でもぼんやりと先見性を感じながらも、あまり表立って解説したことがなかったのと、協同した安藤さんからバトンを受けたこともあって、日本科学未来館の展示空間を切り口にして思うところを述べてみます。
「アナグラのうた~消えた博士と残された装置」は、1000年後の世界を舞台に、空間情報科学を学ぶ展示空間で、ゲームデザイナーやプログラマーと一緒につくりあげました。
展示空間へログインすると自身の分身が現れ、その分身は体験によって形態が進化し、後日訪れてもその進化した形態のまま “続き”から始めることもできます。また他の体験者の分身と勝手に交流をし始め、ある条件を満たすと“裏モード”が起動するなど、ゲーム的な体験がベースになっています。
その舞台は、1000年後の世界というストーリーを補完する、不安定で異形の造作物が点在する空間で、それらは映像を投影され、センサーと連動することで初めて機能します。一言で言うと、人と空間とがデジタルを媒介に接触するような場所です。もともと好きだったビデオゲームと実空間を結び付けることができたプロジェクトで、10年以上前の技術で実現したのですが、その先見性は行動に対するリアクションが可視化され、自身に経験値として反映されるゲーム性にあったのだと思います。
●編集とアップデートによる創作
最近、神という言葉がいろいろなところでカジュアルに使われている印象があります。例えば、ゲーム業界では“神ゲー”と呼ばれるものがあります。それは必ずしも最初から狙ってできたものではなく、いろんな要素が絶妙のバランスで、半ば偶然に重なり合ったものであることが多いです。同時に、アップデートを重ねて細部のバランスを取りながら、また飽きさせないように変化を加え続けることも要因になっています。一度リリースしたら終わりではなく、メンテしながら運営していくのが現在のゲームの主流です。もともと相性が悪そうでもなんとなく合体させてみて、その噛み合わせを長期的に調整する過程で、現代の神がかったものを生み出しているのではないかと考えました。
山形で開かれた芸術祭「山形ビエンナーレ」で手掛けた、スポーツを切り口にしたインスタレーションでは、編集とアップデート作業による創作を試みました。。
設計図で描く1本の線は壁になり、床になり、人の行動に規則を与えます。スポーツの白線も平面的でありながら強い制限を与えます。言い方を変えると、線やルールを少し書き換えるだけで、例えばサッカーとは違う別のスポーツにもなりえます。このインスタレーションでは、参加型のワークショップも通じて、ドーナツ型のサッカーフィールドをベースに、パスの決まり事や、ドッジボールの外野ゾーンなどのルールを掛け合わせてアップデートをしています。まったくのゼロから新しいスポーツを生み出すのではなく、編集作業を駆使して新たなスポーツをつくっているのです。
先述のアナグラは物理的な空間にデジタル技術が介入することで、編集やアップデートが可能になっており、12年経ってもバランス調整やアップデートをしながら運営をしています。建築でもプロダクトでもあるいはスポーツでも、アウトプット先は何であれ、デジタルとの融合によってなのか、もっと直接的な変更なのか、編集可能な余白を与えつつ、継続的なメンテナンスの先に新たな地平が見えないか模索しています。
(2023年4月11日更新)
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▲「アナグラのうた~消えた博士と残された装置」。床壁を全面プロジェクション投影した空間に5つの体験装置がある。Ph:阿野太一。(クリックで拡大)
▲WORLD CUP(みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014)。ドーナツ型のサッカーコートによる実験的なインスタレーション。Ph:志鎌康平。(クリックで拡大)
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