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コラム

神が潜むデザイン

第48回:民主主義的な神の現場/安藤僚子

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト [プロフィール]
安藤僚子(あんどうりょうこ):インテリアデザイナー、合同会社デザインムジカ代表、多摩美術大学情報デザイン学科非常勤講師。1976年東京生まれ。1999年多摩美術大学美術学部建築科卒業。インテリアデザイン事務所勤務を経て、2009年空間デザイン事務所デザインムジカ設立。2018年からリソグラフ&オープンD.I.Y.スタジオ「Hand Saw Press」運営。主な活動に「スポーツタイムマシン」(メディアインスタレーション/第17回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞、アルスエレクトロニカインタラクティブアート部門入賞)、日本科学未来館常設展「未来逆算思考」(空間設計・アートディレクション)、「TOKYOインテリアツアー」(出版/LIXIL出版社)など。
http://designmusica.com/




●八百万的な世界へ

先日、十数年ぶりくらいにマクドナルドに行った。

店内では、ほとんどの人がモバイルオーダーしており、私のようにカウンターに並んで「どれにしようかな?」と注文する客の方が少なかった。十数年前は、世間のネットショップの利用率はまだ30%程度だったように記憶しているが、パンデミックを経て、マクドナルドのような一般的なレストランでも、デジタル空間と実店舗をうまくつないで実装している時代になったと実感した。

今後も、ますますデジタル空間で過ごす時間は増え、そこから情報や感動を得ることが多くなっていくだろう。「神は細部に宿る」と聞くと、どうしても物質的なものを想像してしまうが、デジタル空間やデジタル作品のような物質をもたないものからも、私たちは神が宿る感覚を得られるのだろうか? コンピュータが計算したディテールは神が宿る依り代となっていくのだろうか?

「神」と聞くと、唯一で絶対的なイメージが強いが、私はなぜだか絶対的で中心性があるものに惹かれない。八百万的な神の方がしっくりくるので、ブロックチェーンやDAO(Decentralized Autonomous Organization)のように中央集権から分散型の技術や組織を目指す、Webの世界の方がもしかしたら肌にあうのかもしれない。

中央集権といえば、デザイン業界は昔からそうである。クリエイティブディレクターやアートディレクターのように、リーダーを中心に置く社会だ。このほうが効率良くデザインの決定を行えるからだろうが、この体制がWebのようなスピードを持って変わる気配はなく、むしろ封建的な体質すら残っているようにも感じる。

●フラットなチームから生まれるデザインの可能性

話題が散漫になってしまったが、十数年前に話を戻したい。2011年、デジタル空間と実空間を融合する展示製作に関わった。日本科学未来館の『アナグラのうた~消えた博士と残された装置』という常設展示である。身の回りのさまざまな情報をデジタル化し、社会全体で共有して資源として活用する 「空間情報科学」を伝えるための展示で、約1000年後の世界を舞台にした大胆なストーリーや演出と、多数のセンサーやプロジェクター、PCを用いたインタラクティブなしくみが繰り広げられる、大掛かりな展示空間の製作だった。

このプロジェクトに、友人の会社がコンテンツ制作として入札に参加したいと考え、展示空間のデザインや施工を含めたチーム作りを相談され、私が加わることになった。通常こういう大きな展示の入札は、経験豊富な大手の内装施工会社が元請けとなり、私たちのような空間設計やコンテンツ、プログラム、グラフィックなどは下請けとして、元請け会社の指示のもとに動く。

実はこの展示は、一度目の入札が金額が合わず不落となっていた。友人のコンテンツチームは、大手施工会社に依頼して元請けとなってもらい一度目の入札に参加したが、元請け会社の態度があまりに強く、一緒に話し合える仲間ではないと感じ、新しいチームで2回目の入札に参加したいという依頼だった。そこで私たちは、商業施設の施工がメインで、展示空間の実績はほとんどない大手の施工会社に相談をし、上に乗っかってもらう形でボトムアップなチームを作って臨み、見事落札できたのだ。

未来館や科学研究者、ゲームデザイナーを中心としたデジタルコンテンツチーム、センサーを担当する技術メーカー、空間デザインチーム、製作施工チームと、多業種なチームで製作が始まったが、これまでの仕事を思い返してみても、このプロジェクトほど主従関係のないフラットなチームかつ、民主主義的な製作現場はなかったと思う。

ラウンドテーブルと呼んでいた、メンバーが毎週あつまるミーティングでは、実によく話し合った。みんなが主体となり参画し、議論し、その膨大な時間とぶつかり合いから生み出された数々のアイデアが結晶化し、結果として展示は、科学館展示物の枠組みを超え「作品」と呼ばれ、文化庁のメディア芸術祭で優秀賞に選ばれた。

また、普段、実空間でものづくりする立場としては、デジタル空間でものづくりをするゲームデザイナーとの協業から多くの刺激を受けた。私はコンテンツチームと空間デザインチームの間に立つ役回りで、設計はトラフ建築事務所に依頼し、禿真哉さんが担当だった。デジタル空間と実空間はビットとアトム(原子)という、扱うものの基本単位が違うからか、まったく異なる視点からの発想のやりとりが面白かった。

例えば、展示空間に並ぶ装置に「顔」をつけるかどうかの議論があった。ゲームクリエイター側はキャラクター化するので当然「顔」をつけた方が良いと主張し、空間デザイン側は、物理的な顔を付けたくないという主張で、お互い譲らず、かなり話し合った記憶がある。

最終的には物理的な顔はつけず、装置についているモニターの中に目を映したり、プロジェクションで装置に手を投影したり、装置から音声を出してキャラクター化させたのだが、プロジェクトの後半にもなると、顔をつけることにあんなに懐疑的だった禿さんが「施工に使うビスの頭にもすべて顔をつけたらどうなるか?」とノリノリでスケッチしていたぐらいで、普段の建築やデザイン的な常識では、そりゃないだろ? と考えもしないことまで、可能性を探りながら検討して作ったことが思い出される。違う考えを持った人と、同じ目線で語り合うことで、神をも潜むような新しいデザインの可能性が生み出されることを学んだ現場だった。





(2023年3月6日更新)





▲日本科学未来館、常設展示『アナグラのうた~消えた博士と残された装置』。(クリックで拡大)
画像提供:日本科学未来館




▲展示空間に入ると自分の情報が形となった分身「ミー」が足元にあらわれ、ナビゲートしてくれる。(クリックで拡大)
画像提供:日本科学未来館




▲段ボールの実寸モックアップを設置しながら進んだ開発現場の様子。(クリックで拡大)



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