●イスタンブールのモスク
「神」を感じた建築というときに私が一番に思いつくのは、「神」に祈る場であるモスクだ。
10年前、私はトルコのイスタンブールに1年間滞在していた。大学の授業がある時間以外はとにかくイスタンブールの街を散歩し、入れそうなモスクを見つけてはいそいそとお邪魔する。イスタンブールには日本のお寺や神社と同じようにモスクがそこかしこにあり、まるで街や地形を作っているかのような巨大なモスクもあれば、歩いているとつい見落としてしまうような小さなモスクもある。どんなモスクでもいつだって入ることができ、訪れる人それぞれが自由に振る舞い過ごしている。
実際に訪れるまで、モスクは神々しくて近づきにくい場というイメージを持っていたのだが、そこは公園や広場のように開かれた公共な場所でありつつ、例えるなら、放任しつつ居心地の良い空気をつくってくれるマスターがいる喫茶店、というような、それぞれ独特の親密さがある場所だった。
●バザールの中にある小さなモスク
イスタンブールにリュステム・パシャ・ジャーミィというモスクがある。ふんだんに使用されたイズニックタイルで有名なモスクの1つである。トルコでは、偶像崇拝を禁じられているイスラム教に基づき、モスクを彩るために絵画ではなく花柄や幾何学模様を駆使したイズニックタイルが発展した。
わたしがこのモスクを訪れたのは、ちょうど太陽が沈み、空が少しずつ藍色に翳っていく時間だった。中に入ると、イズニックタイルの優美な模様よりも、ぬらぬらと煌めく光の海に衝撃を受けた。よく見ると、タイルには1つひとつ歪な凹凸があり、釉薬は気泡が入って粒立っているところもある。1枚1枚貼っているためか、グッと押しつけすぎたところと浮いているところがあるようで、微妙に角度がずれていて、移動していく中で光がゆらゆらと反射しうごめいていく。模様で装飾するためだけではなく、この一様でない動き続ける光の空間を作るためにタイルを選んだのかもしれない。そんな想像が浮かぶ。
照明は、円形の巨大なリングに電球が吊るされたものが、ぐっと低い位置に設置されている。その電球は、矩形の室内空間に対して円形に配置されているため、壁と照明の距離が一様にならず、強く反射するところとぼんやりと反射するところがある。昔は電球が火であったことを思うと、なんと艶やかな空間だったことだろう。
このモスクはバザールの通り沿いに入口だけが顔を出していて、歩いていても通りからはほとんど姿が見えない。店番をしている人は、賑やかなバザールの奥にあるこのモスクにさっとお祈りしに行ける。とても日常的な場所でありながら、光と影の対比が強まる夕刻には内臓のようなあるいは秘密の森のような空間が立ち現れる。わたしはチーズを買った帰りになど、たびたびこのモスクに訪れた。
●空間から身体に働きかける
ゆらゆら動く海に、坂道ばかりの街並み、ボコボコとした壁にふわふわした床、いつまでも工事が終わらない道路の舗装。イスタンブールは水平垂直でできていないのかもしれないとすら思えてくる。それらは騒々しく、少しお節介なくらい身体の感覚を働かせてくる。
ある住宅にカーペット貼りの丘をつくった。そのふわふわの斜面を子どもたちが上り下りして遊ぶことは想定していたが、完成直後のころ、待ち時間にこの丘で眠ってしまったことがある。日常の中のメインではない隙間の時間に、するっと空間が身体に働きかけて過ごさせてくる。そこにはどこかイスタンブールのモスクにあったお節介な親密さが潜んでいる気がしている。
(2022年5月17日更新)
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▲リュステム・パシャ・ジャーミィの内部。イズニックタイルに照明の光が反射する。(クリックで拡大)
▲奥に見えるのがリュステム・パシャ・ジャーミィの入口。バザールの通り沿いにあり、ここから階段を上がるとモスクの前庭に至る。(クリックで拡大)
▲住宅に作ったカーペットの丘。「秋本邸」 Ph:Yurika Kono。(クリックで拡大)
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