●200年前からの集落、奈良井宿
奈良井宿は長野県塩尻市にある集落である。江戸と京都を結ぶ中山道のちょうど中間地点の宿場町として栄えた。現在の奈良井宿は重要伝統的建造物群保存地区として認定されることで、今なお200年前の町家が1kmに渡り数百軒、当時の姿を残している。
集落は、人々が時間をかけ作り上げたもので、1人の建築家では決して作れない風景がここにある。そして、当時の人々だけではなく、現在に至るまで無数の人々が関わり、繰り返し繰り返しメンテナンスされ続けることでこの集落は生かされている。
当然、神様が作ったわけではないが、人々の実践の積み重ねによるこの圧倒的な風景に、畏敬の念を抱かずにはいられない。
一方、重要伝統的建造物群保存地区の取り組みは主に街並み保存に対応するもので、個別の改修について構造、断熱補強の指針や用途変更、活用のTipsを具体的に示すものではない。
街並み保存に軸足を置いた考え方が、あまりお金を落とさずに素通りする観光地の姿を定着させてしまったし、町全体で建物の性能の維持がどれほどなされているかには正直、疑問を持たざるを得ない。
●旅館再生プロジェクト
最近、この集落で、「まち宿」を作るプロジェクトに参加した。まち宿というのは、空き家となった複数の町家を同時に旅館として再生することを意味する。
枠組み的には、塩尻市と竹中工務店の地域連携協定をもとに、重要伝統的建造物保存地区に認定された奈良井宿の古民家群を活用するプロジェクトである。竹中工務店とツバメアーキテクツとでそれぞれ手分けして改修設計に当たった。
ツバメアーキテクツが担当する上原屋は、唯一無二の有名な寺社仏閣のようなサラブレッド古建築というよりは、200年の間、場当たり的に増築や改修がなされた構法や内装のスタイルが混在する民衆によるハイブリッド古建築であった。
民衆の町家を相手にするなら、観光地の目玉として成功すればいいのではなく、地域住民が改修時に参照できるようなロールモデルにするのが集落や町家のようなコモンズに関わる時の作法だと考えた。
民衆の町家だから、気楽という意味ではない。はじめに書いたように、これまでこの集落へ関わった無数の人々のことを思い描きながら、その連続的な時間の上に立って考えなくてはいけないと、使命感というか恐怖感というようなものが常にそばにあった。
もっというと、今回のプロジェクトのように突然、あるボリュームの資本がまちに投下される場合、均衡のつくり方が、集落の未来を占うことになるだろう。
●町家を金継ぎ的価値に
設計的には、改修時のロールモデルとなることと、次世代が再度改修ができるようにディテールや構造をオープンエンドにするということを前提とし、次のようなエレメントを選択していった。
・構造補強の種類を多く示し、実感できるようにする。
・仕上げを剥がし小屋組を見せる、といったこの集落にも散見される建物の性能を下げる改修のクリシェを避け、断熱層の厚みを生かした造形とする。
・アルミサッシは厚みを持った開口の奥に位置付ける。
・光を拾うような仕上げを行う。高齢化している左官職人でなくても気軽に採用できるようなDIY向きの塗料を選定した。
・通り庭やヒヤ空間(隣接する町家同士の隙間空間)を生かし、コモンスペースを設ける。
・間接照明などの演出を避ける。
などである。
上記のエレメントを、町家特有の高さや奥行きを体感できることと、黒く煤けた架構が連続していくことといった大方針の中に位置付けようとしている。こう言った態度が、これまでの町家を引き継ぎながらも異なる価値をつくろうとする、金継ぎのような在り方となった。
トップライトから差し込む光が軸組みに陰影をつくり、金色のパンチングメタル耐力壁や、町家のオーナーが大切にしていたレコードが暗闇の中で時間を超えて共存し、浮かび上がる。さまざまな時間の手綱を手繰り寄せてできた町家は、コモンズの一部に位置付きながらも、復元や保存とは異なる別の世界線を生きていくだろう。
(2022年4月8日更新)
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▲雪景色の奈良井宿。撮影:筆者。(クリックで拡大)
▲天窓と透ける耐震補強。撮影:kai nakamura。(クリックで拡大)
▲天窓と駆体。撮影:kai nakamura。(クリックで拡大)
▲連続する透ける耐震補強。撮影:kai nakamura。(クリックで拡大)
▲パンチングメタルのディテール。撮影:kai nakamura。(クリックで拡大)
▲天井懐を利用した曲面天井。撮影:kai nakamura。(クリックで拡大)
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