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コラム

神が潜むデザイン

第32回:自然物と人工物の共生/浜田晶則

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
浜田晶則:AHA 浜田晶則建築設計事務所・teamLab Architectsパートナー。1984年富山県生まれ。2012年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。2014年AHA 浜田晶則建築設計事務所設立。同年よりteamLab Architectsパートナー。日本女子大学非常勤講師、明治大学兼任講師。コンピュテーショナルデザインの手法により、「自然界の美しく複雑なフォルム」や「光や風といったカタチのないもの」までを設計対象とし、建築と自然が互いに拡張しあう『超自然の建築』という設計思想のもと、人と自然が共生する社会づくりに貢献していく。 http://aki-hamada.com/



●曲がった竹の籠

以前、江戸時代の籠を富山の民芸館でみたとき、静かに感動したことを覚えている。

傾斜地に生えて育った根曲がり竹を籠に使っているという。竹細工の多くは、薄い竹を割いて曲がりやすくし、編み込むことによって目標となる曲面をつくろうとしている。現在の竹ひごの多くは曲がりのないものが製品として売られている。真っ直ぐであることは、製品として売るために必要な価値として認識されているのである。しかし、この根曲がり竹を使った籠は、一見使いにくくみえる曲がった部分を籠の曲面部分に用いることによって、曲げによる反発力を最小に抑えながら、籠の曲面が決められている。真っ直ぐの竹を自由な形に曲げるのではなく、すでに曲がっている竹から形状が決定されるような、自然物と人工物の共生関係が成立しているのである。

●南禅寺の塀

日本建築において塀は重要なエレメントの1つである。筆者が塀で感動したのは、京都・南禅寺の華厳庭の塀である。竹と穂が組まれ、均質になりがちな目隠し塀が自然の風景のように溶け込んでいる。竹の幅を揃えながら節の高さをばらつかせ、奥行き方向に波打たせることによって陰影を生んでいる。さらに繊細な穂が間に入りこむことによって、遠近感とリズムを生んでいる。自然に任せ過ぎると田舎風のように洗練さが欠け、整え過ぎると均質になってしまい自然からかけ離れていく。その絶妙なバランスで、この南禅寺の塀は自然物と人工物の共生に成功しているといえる。

●現代の民藝

いま現代の民藝館をつくるというプロジェクトに参加している。現代の民藝とは何だろうかと常に問い、設計をしている。柳宗悦は著書『手仕事の日本』の中で、日本の文化の基礎として、自然と歴史の重要性を説いた。自然を征服するのではなく、共生することは地球環境だけでなく、文化においても非常に重要である。

「現代の民藝とは何か」という問いに、1つの答えはないだろう。しかし今私が思うのは、自然物がもつゆらぎや、手仕事によって生まれるゆらぎ。それらが機械や情報技術などの人間が与えた規範と共生することによって生まれる美が、現代の民藝がめざすところなのではないかと思う。

ていねいな手仕事で古いものが民藝なのではなく、自然物をただ無垢に利用することが民藝なのでもない。そこに現代の技術や知を重ね合わせることによって生まれるものが現代の民藝と呼べるものなのではないかと思う。その重ね合わさる小さなところに、神は潜んでいるかもしれない。


(2021年8月31日更新)



▲富山の民芸館で見かけた江戸時代の「曲がった竹の籠」。(クリックで拡大)


▲京都・南禅寺の華厳庭の塀。(クリックで拡大)



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