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コラム

神が潜むデザイン

第30回: 建築と出会う/北澤伸浩

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
北澤伸浩(きたざわのぶひろ):1983年長野県生まれ。2008年 慶應義塾大学大学院理工学研究科修了、2008-2019年 SANAA(妹島和世+西沢立衛)勤務、2018年- 北澤伸浩建築設計事務所。主な作品:「笹沼邸」(2019年)「A Villa in Townscape」(2021年)ほか。
http://oonk.jp/



●ヨーロッパでの思い出

建築を考えるとき、建物の単体のデザインだけを考えることはほぼないと言ってよいと思う。

それぞれの土地の文化や歴史、社会とともに建築はあり、建築を考えるということは漠然とそういったことを考えることになる。朝ベッドから起きて、寝ぼけた頭で学校や会社に行く、旅行する、友達と会う、それらすべてが建築的体験であり、そんな日々のなかで、心を打たれるような瞬間に出会うものだろう。

10年近く前になるが、仕事でフランスの片田舎に常駐し、生活をしながら現地の建設現場で工事監理をしていたことがある。金曜になると、建設現場の人々がみなソワソワしだして、昼過ぎには「Bon weekend !(よい週末を!)」と声を掛け合って三々五々に帰っていってしまう。日本では週末もふくめて不規則に仕事をしていたため、最初はびっくりした記憶があるが、心の底から週末を楽しそうに待ち望む現場の人々をみて、微笑ましいというか、これはこれでなんともいいものだなと思った記憶がある。

週末は、暮らしていた片田舎の町のお店はどこもやっておらず、1人アパートに残っていても、本当にやることがなかったため、パリへ繰り出したり、近隣の町に出かけるようになった。

●ユニテ・ダビタシオンとサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

ある日、仲の良いフランス人の友人と、彼のガールフレンドが手伝っている大学の研究室のツアーでリヨン近郊のコルビュジエ建築を見に行くというので、僕も同行させてもらった。

ラ・トゥーレット修道院を訪れた後、車でフィルミニに向かい、次の目的地「ユニテ・ダビタシオン(Unité d'Habitation)」を目指した。僕は国際免許を持っていたのだが、カーナビのフランス語が聞き取れない。一方、友人は自動車の運転免許を持っていなかったので、僕がハンドルを握って、彼が助手席でナビを英語に翻訳するという二人三脚で目的地を目指した。

フィルミニのユニテはマルセイユとは違い、町の中心から少し離れた高台にあるのだが、車で向かっていくと、あるときに突然、丘の上に屹立するユニテ・ダビタシオンのボリュームがみえてくる。たまたま登っていくときに逆光だったこともあって、地上から縁を切って、大地にそびえ立つコンクリートの塊の力強さが印象的で、とても感動したのを覚えている。

同じような体験として思い出すことがもう1つある。当時、夏に1週間ほど仕事でイタリアのヴェネツィアに滞在した。石畳の町を、連日早朝から深夜まで歩きまわって仕事したためすっかり疲れてしまい、このままフランスに戻るのではもったいないなと思って、イタリア国内をちょっとだけ旅行することにした。

途中、フィレンツェに立ち寄った。駅を降りて、宿泊予定のホテルに向かってトコトコと歩いていった。ヴェネツィアで買った麦わら帽子を電車の中に置き忘れてしまい、少しがっかりしながらも、まずはホテルにチェックインして荷物を預けようと歩いていた。

やがて道の向こうに、何か今まで見たこともないような得体のしれない塊が見えてきた。ひょっとしてあれが「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」なのかしらと期待感を持ちつつ向かっていったのだが、それが眼前に姿を現したとき、あまりの大きさにとても興奮した。駅からまるで内部化されたかのような外部空間が連続していたのだが、そのシークエンスのあとに、突如現れるスケールの圧倒的な違い、眼前に現れたときの、まるで「ドーン」という効果音が聞こえてくるかのような存在感に心を打たれてしまった。

●建物の建ち方、周辺との関わり

建物との出会いは、その前後の時間、建物の建ち方、周辺との関係に影響を受ける。フィルミニのユニテは、小高い丘の上にある神殿のような立ち姿。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、廊下のような外部空間を抜けた先にある、地上からは全体像が見えないほどにそびえ立つ、岩山のような現れ方をする。

両者はともに体験的であり、また、映像的というか、周辺とのシークエンスのなかで経験されるものだった。同じような理由で、NYのシーグラムビル、パリのポンピドゥー・センターも、とても印象的な体験として記憶に残っているし、大好きな建物である。

当時勤めていた設計事務所では、絶えず建物のかたちや大きさ、周囲との関係性を検討していたが、最初はあまりよく分かっていなかったというか、もっと単なる数字的なもの(法的な延床面積とそれがどれだけ敷地の中で確保できるかということ)なのかなと思っていた。

ただ、このような体験を通して、建物の大きさ、建ち方が、建築の根本的な価値というか、人々の体験や記憶に大きな印象をもたらすものだと身を持って実感することになった。当時の建築家たちがどのように考えていたのか知ることはできないが、彼らの作り上げた建物が、歴史の積み重ねによって、それぞれの土地や文化、街並みとともに変化しながら、今日の私たちの目の前に広がっているということに純粋にワクワクした。

先人の偉大さに比べたら、大変おこがましいとは思うけれども、自分も、未来の誰かにそのような体験をしてもらえるように、日々の建築設計に向き合っていこうと思っている。


(2021年6月17日更新)



▲フィルミニのユニテ・ダビタシオン。(クリックで拡大)


▲サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。(クリックで拡大)



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