●円相という書画
「神とは己の心の中に存在するものであって、見えるものではない。」
学生の頃、働いていた浅草の老舗の料理屋で、そのおかみさんからそう聞いたことがある。おかみさんは、お坊さんの書いた円相という書画を床の間に飾り、大事にされていた。「これにすべてが含まれている」といった。高校生だった私にはまだそのことが、どんなことなのか分からなかった。だが、大人の世界がとてもワクワクしたモノに感じたのだった。見えるものも見えないものも全て己の心。円相とは己の心を写す鏡である。そんなわけで、大人になるにつれデザインをするようになった私は、自分の目には映らない部分をどう捉えるか、そんな円相を心の片隅に置いて生きてきた。
私の父は15年前に他界した。いくつかの形見の中に、ブルーノ・ムナーリの『円+正方形』がある。これは美術出版社で1971年に発行された2冊組の日本語翻訳版で円や正方形にまつわる発見や展開をそれぞれにまとめたものである。私はこれをとても大事にしている(写真1)。
その円(IL CERCHIO)の中で、PAUL KLEEが表現していることが興味深い。目に見える部分によって、脳内が錯覚を起こし目に見えない部分に影響を及ぼしている一例である。これこそ、人間ならではの神業としか思えない。目には見えない感性によって、人それぞれ見え方も違い、映り方も感じ方も人それぞれなのである(写真2)。
●マイナスの美意識
今から20年以上も前に、当時自由が丘にあったTime & Styleというインテリアショップで、桜の枝を活けている谷匡子という人と出会った。枝を活けた途端、その空間が見事に変わり神が宿ったと感じたことがある。その空間を学びたく、アシスタントにつかせてもらった。それから何度も谷の作品を見ているが、いつも神がかっていると感じざるを得ない。
モノとモノ、モノと人との空間が、どうすればより美しく感じられるのか。
日本の昔ながらのマイナスの美意識を大切にすることがとても重要だということを学んだ。
シンプルな方がより、目に見えない部分のモノと人との空気を感じてもらえやすい。
昔でいう侘び寂びの精神に通づるものがあるのだ。
それから何年かして、デンマークにあるベツレヘム教会に行った時は、鳥肌が立った。Kaare Klintが1933年に設計した教会である。シンプルで簡素なその教会は、マイナスの美意識そのままだったからだ。無駄を省き、余白を残し、シンプルなその空間は、何かを感じる瞬間だった。そして日本とデンマークがデザインで共感し合う理由が分かるような気がした(写真3)。
●陰翳礼讃
能登半島の奥珠州にさか本という宿があり、時々訪れている。そこには何もない。何もないが、目には見えない心意気や思いやりが感じられ、本当に美しい宿だと思っている。陰翳礼讃の言葉の意味を感じながら、見えない部分も深まり、出されるお料理の数々も含めて、自分の感性が豊かになると感じることができる稀有な場所となっている。光と影のあいだにある何かの存在や、おもいやり、心意気がそれらをより美しくし、神が宿る瞬間となるのであろう(写真4)。
人に対しての優しさが見えるか見えないか。デザインするときに考える心意気や思いやり、そしてそれを感じる心がないと成立しない。だからこそ、目には見えない部分を表現する力をそして感じ取れる力を常に進化させたいと思っている。それぞれの自分の感性に響き、それぞれの自分の心が豊かになると感じられる瞬間こそ神が宿る瞬間なのだと思う。
(2021年1月25日更新)
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▲写真1:ブルーノ・ムナーリの書籍『円+正方形』(1971年美術出版社刊行)。(クリックで拡大)
▲写真2:目に見える部分によって、脳内が錯覚を起こし目に見えない部分に影響を及ぼす例。(クリックで拡大)
▲写真3:デンマークのベツレヘム教会。(クリックで拡大)
▲写真4:奥珠州の宿「さか本」。(クリックで拡大)
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