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コラム

神が潜むデザイン

第17回:「オリジナルな全体」と「見えない細部」の関係/林 裕輔

「神は細部に宿る」と言うが、本コラムでは、デザイナーがこれまでに「神」を感じた製品、作品、建築などを紹介していただくとともに、デザイナー自身のこだわりを語っていただきます。

イラスト [プロフィール]
林 裕輔(Yusuke Hayashi):有限会社ドリルデザイン代表、プロダクトデザイナー。学習院大学経済学科にて経済地理学を学び、卒業後にデザインを学ぶ。2001年ドリルデザイン設立。アートディレクション、素材開発、用途開発、技術開発の協力など、カタチをつくる以前の段階からプロジェクトに参画することも多い。これまでMUJI、Camper、Mercedes Benz、TIME&STYLE、CRASSEVIGなど国内外のメーカーにデザインを提供し、東京、シンガポール、ミラノ、ロンドン、パリ、ストックホルムなどの都市で展覧会に出品。Wallpaper* Design Award、Red Dot Design Award、German Design Award、Good Design Special Award、Design For Asia Awardなど受賞歴多数。多摩美術大学非常勤講師、東京藝術大学非常勤講師。 http://www.drill-design.com/



●見る解像度を上げる

「神は細部に宿る。」と言われて私がふと疑問に思うのは、デザインや設計を生業としない普通の人は一体どこまで細部が見えていて、気にしているのだろう、そして細部とはどういう存在なのかということだ。

先日友人の勧めでロバート・カーソン著「46年目の光」というノンフィクションを読んだ。最近読んだ本の中では、際立っていろいろと考えさせられる興味深いものだった。3歳のときに失明した主人公が、最新の医療技術によって視覚を取り戻すという荒筋なのだが、ただのハッピーエンドの物語ではない。驚いたことに、長年失明していた人は視覚を取り戻しても、どうやっても、どんなに訓練をしても普通の人のように見えるようにはならない。まず、顔の認識ができない。動いているものしかすぐに識別できない。

これは私たちが普段見ていることの半分以上が目で見ているのではなく、脳で見ているということの証明なのだ。例えば顔の微妙な違い(細部)によって誰かを認識できるのは、脳の中でそのためのニューロンを発達させてきた結果であり、視覚のニューロンが発達しないと網膜に映っているものは何の意味も持たないということになる。

よく考えてみると、私たちが普段見ているものは一体どこまで本当に見えているのだろうか。大学の授業で学生に「見る解像度を上げろ」と事あるごとに言うのだが、これはつまり視覚のニューロンを普通の人より発達させろという意味なのだ、と改めて腑に落ちた。

●自然で合理的な細部

このリレーコラムのバトンを渡してくれた家具デザイナーの藤森泰司さんと「Windsor Department」というウインザーチェアーの研究活動をしているが、椅子好きでない人にとってはウインザーチェアーはどれも同じように見えるらしい。家具デザイナーには一目で全然違うと分かるのに、私たちがデザインしたVILLAGEとOFFSETが同じ椅子に見える人がいることには驚いた。

同じような例として自転車を描いてみてと言って、正確にダイヤモンドフレームを描ける人は自転車好きかデザイナーくらいだと思う。ただ、車輪を描き忘れる人はほとんどいない。これは車輪が自転車の全体であって、フレームは細部として脳が見ているということになる。自転車の場合ここで重要なのは、細部(フレーム)があまりに自然に合理的にできていて気に留まらないから思い出せないということだ。気に留めないというのは、いちいち美しいとか面白いとか意識しないということで、空気みたいな細部であり、それが実はとても心地良いことなのではないかと考えている。

この自然で合理的な細部というのは、私にとって重要な目指すべきデザインの要素だ。デザインを飽きさせない長く使いたくなるモノには、この見えない細部が必ずあるように思う。私の尊敬するアキッレ・カスティリオーニ氏が、生前あるインタビューで「僕を最大に喜ばせることというのは、君がこの卓上ランプを支える金属の脚がないことに、ほとんど気付いていないということなんだよ」と自身がデザインした照明器具イポテヌーサを指して語っている。

一方で大切なのは、この透明性はあくまで細部の話であり、全体、モノの在り方の部分で何のアイデアもなくただ自然にシンプルに見せるだけ、となるとデザインはとてもつまらないモノになる。この「オリジナルな全体」と「見えない細部」の関係が、デザインの良し悪しを決める重要なポイントになる。

●ダブルクリップの奥深さ

細部に神が宿っている道具の良い例として思いつくのは、ダブルクリップがある。何気なく使っているダブルクリップをよく観察してみてほしい。

この道具は、持ち手となる針金2個(1対)と書類を挟む板バネ1個で構成されている。てこの原理で開閉する仕組みだ。針金の先端を収めるためにクリップの板の淵がくるりと巻いてある。これが書類を傷つけるのを防ぐ機能を兼ねている。もっとよく見ると針金が収まる切れ目の部分が斜めにカットされている。針金の開こうとするバネの力によってこの斜めカットが持ち手の針金の動きを制御する仕組みになっているのだ。ぱっと見では後に述べた機能を支える細部はまったく見えてこない。材料は最小限、作り方は明快、方法論としてすべて合理的。ゆえに安価でずっと生産され続け、使われ続け、デザインに飽きたり、モデルチェンジされたりすることはない。

こういう神がかった無駄のない構造はいきなり頭の中で到達できるのではなく、過去からの発見の積み重ねや時間をかけた試行錯誤が必ず必要になる。普通の生活をしている人には見えない空気のような細部を作るために、デザイナーは逆に解像度を上げて細部を観察し、発見し、デザインとして消す方法を学ぶ必要がある。このことは、デザインしないとか、デザインを感じさせないとか、造形論だけで簡単に言うことができない奥深さを孕んでいると思う。

これからも見る解像度を上げる旅をつづけて、いつかそういうモノをデザインしたい。


(2020年5月11日更新)



▲「46年目の光」著:ロバート・カーソン、訳:池村千秋。NTT出版(クリックで拡大)


▲「VILLAGEとOFFSET」いずれもTIME & STYLEより発売中(クリックで拡大)


▲Velocipedia by Gianluca Giminiより。3歳から88歳までの友人や見ず知らずの人たちに何も見ないで自転車を描いてもらい、それをCG化するプロジェクト。画像はその絵の一部(クリックで拡大)




▲「IPOTENUSA」designed by Achille Castigrioni(1976年)FLOSより(クリックで拡大)


▲IPOTENUSAのパーツ。重い安定機と軽い照明部分を1本のロッドでつないでいる。接続部は、ヘッドホンなどのジャックに見られる差し込み式(クリックで拡大)




▲「ダブルクリップ」(クリックで拡大)


▲ダブルクリップのパーツ。細い針金パーツと曲げた板バネ(クリックで拡大)



▲1915年に米国で特許出願されたダブルクリップの図。100年以上経ってもほとんど直すところがないのが分かる(クリックで拡大)



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