日本人にとって神様は八百万(やおよろず)の神と呼び、神が宿るのは、人でも自然でも動物でも植物でもモノでも、何かとてつもなく特別な力を持つものであればいいと考えられてきた。ただそのようなものであっても、人の崇敬がなければ「神」になることはできないそうだ。
私が崇敬してきたものが、ここで語るべき「神」だとしたら、2つご紹介したいものがある。
●スヌーピーとチャーリー・ブラウン
1つは私が子どもの時から大好きな、スヌーピーが登場する「PEANUTS」シリーズ。チャールズ・M・シュルツ氏によるドローイングの、媚びない自然なかわいさが絶妙でたまらない。
チャーリー・ブラウンの頭の張りのある丸みも、スヌーピーのふやっとしたおなかや耳の間(おでこ?)の張った形も、シンプルでありながらあたかも元々ある輪郭をなぞっているかのように正確で、毎日の創作で鍛えられ洗練された線である。
PEANUTSコミックでは、このシンプルな線で描かれた丸みのあるキャラクターたちがどのコマでも際立って見え、本当によくデザインされていると思う。
ところで、赤ちゃんや動物の子どもを「かわいい」と感じるのには生存のメカニズムが関係するそうだ。動物学者のコンラート・ローレンツが1950年代に発表した説によると、「大きな頭」「まるい頬」「目鼻立ちが低い位置にある顔」「まるくてずんぐりした体型」という特徴を見ると、人は「かわいい」という感情がわき、この弱き存在を助け、お世話しなければという本能をくすぐられるので、幼い命は保護され生命をつなぐようできているのだとか。まさに神の作った精巧なしくみである。
PEANUTSではこの「かわいい」を感じるしくみの効用が随所で作動(あるいは静かに炸裂)しているんではないかとと思う。
●1962年のポータブルテレビ「ALGOL」
もう1つは、社会人なりたての時に出会った崇敬するもの。BRIONVEGA社の「ALGOL(アルゴル)」というポータブルテレビである。
新人として配属されたTVグループで、先輩にこれを知っているかと見せられたのが、ALGOLのカタログだった。1962年にMarco ZansoとRichard Sapperによってデザインされたものであるが、四半世紀経った当時でも鮮度を失わないモダンさに圧倒された。
操作系は背面に美しく配置されており、ハンドルは、ブラウン管の画面寄りに重心があるのに合わせ斜め前にせり出してくる。全体のフォルムは低いところに置いても見やすいよう画面が上向きになっており、その逆くの字の姿形とツヤっと丸みを帯びたスクリーンカバーがこっちを見上げた子犬のようになんとも人なつこいかわいさである。カタログのデザインもモダンで美しかった。
当時の感覚では、「かわいい」デザインは幼稚で一段低く見られているような気がしていたが、こんな洗練された方法でかわいさを表現することもできるのかととても勉強になったデザインである。
●「PEANUTS」の描線のように
「かわいい」の効用について理解を深める機会は、近年になって再びやってきた。今から10年前に出会った、富山・高岡市の仏具メーカー株式会社山口久乗の「久乗おりん」のデザインに取り組むようになってからである。
「久乗おりん」の音には癒やしの効果があるということで、仏壇だけではなく日常の暮らしの中で手元に置いておけるものを作りたいという依頼からスタートし、最初のシリーズではオリジナル小型おりんを使った4つのプロダクトをデザインした。おりんの音は涼やかでやさしく心癒やされる。デザインはその音をかたちにして伝えられるものにしなければならない。「癒やす」とは、どんなかたちなのだろう?……禅問答のようで苦悶した。
そんな中、社長の奥さんに「かわいいものを見ると和むんですよね」と言われたことがあった。ふと笑みがこぼれるような愛らしいかたち。「かわいい」と感じることで、慈愛のようなものが内側から湧いてきて、心和み安らぐことができるのではないか。
「PEANUTS」の描線のように、丸みの力を孕んだものが作れるといいなと思った。
「かわいい」だけで心安らぐかたちができるわけではないが、深い心から生まれた「かわいい」には、慈しみ深い神様が宿ることがあるように私は思う。
(2019年4月8日更新)
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▲スヌーピーをはじめとするキャラクターが魅力のチャールズ・M・シュルツ氏による「PEANUTS」コミックシリーズ。(クリックで拡大)
▲「ALGOL」の筐体。Webサイト「ITALIAN WAYS」より引用。http://www.italianways.com/algol-an-absolute-prototype/
▲「ALGOL」の上部。
▲著者がデザインを手掛けた高岡市の仏具メーカー山口久乗の「ことりん」。(クリックで拡大)
▲久乗おりん「優凛シリーズ」。(クリックで拡大)
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