●タイに住んでいた「神」
私は、若い頃、長い間フリーターだった。タイで毎日毎日、ただただダイビング三昧の日々を過ごしていた時期もある。
そんな私だったが、「神」がこのタイの国には住んでいると感じた時があった。私は、何かの宗教に入っているわけでも、信仰深いわけでもない。しかし、どうしても、そこに「神」を感じる。
そして、そのあと、長い時を経て、25年後に再びタイに降り立った。自然の中にしっかりと漂う心地の良い「神」の空気感に浸りたい、と、どこかで期待していた。
しかし、25年後のタイには「神」はすでにいなかった。
あとに気づいたことなのだが、私の感じた「神」というのは、そこに住む人々の「信仰心」から生まれたものだった。人々の信じる気持ちが、そこに「神」という存在を創り、感じさせる。
ようするに、25年の間に人々の暮らしに密接していた「神」を信じるという文化の中に生きていた「神」は、先進国化に伴って、人々の信仰心の薄れと共に、姿を消していたのだった。
前置きが長くなってしまった…。そんな体験も含め、取り巻く人々の、大切に思う気持ち、興味をもつ気持ちが、そこに、「息吹き」を生み、光となったり、文化の中に溶け込み、歴史となるのだと、強く感じる。
●ピエーレ・ジャンヌレの「家具コレクション」の復刻
今、関わっている仕事で、まさに周りが取り巻く環境に翻弄されたプロジェクトが存在する。
そのプロジェクトとは、50年代に生まれ、人々の希望となり、その50年後には誰しもがゴミだと思い込み、しかし、今、人々の手にも届かぬ宝石と化した「家具コレクション」の物語である。
私たちは2年ほど前から、南インドのバンガロールという街にある家具工房と共同で家具のコレクションを制作している。この工房は、50年代の北インドのチャンディーガル都市計画時に開発・生産されたピエーレ・ジャンヌレ氏の家具、チャンディーガル・コレクションの復刻を2013年から始め、現在大きな成功を収めている。
チャンディーガル都市計画 というのは、 1947年のインド・パキスタン分離独立の際に、かつての中心地ラーホールがパキスタン側になってしまったために、インドに新たな州都を建設する必要が生まれ、紆余曲折を経て、1950年にル・コルビジェに委託され、進められた都市開発のことだ。
コルビジェは、従兄弟のピエーレ・ジャンヌレを実質のこのプロジェクトのリーダーとし、ジャンヌレは住まいをチャンディ-ガルに15年間移し、プロジェクトに没頭する。
ほとんどの建物はコルビジェの設計だが、いくつかは、ジャンヌレのものもあり、特に、中に収められた家具の大半をジャンヌレが担当。家具は、ジャンヌレがデザインし、インドで、インドの素材、手法、で制作できるものという趣旨のもと、今で言うオープンソース(知的財産権を所持しない)として、インド人達が自分達で、どの工房でも好きに図面を使用し、制作できることを目的とし、配布された。
その影響もあり、現在「オリジナル」と呼ばれる、チャンディーガル・コレクションのジャンヌレの家具は、多種多様、寸法もまちまちで、釘が出たものなど、かなり荒いものも多いのだが、主要な建築物に、どんどんと収められていった。まさに、この家具コレクションが、実際に役に立ち、光になり、人々の希望となった瞬間。
私は、実際にチャンディーガルに訪れ、この時代を想像しながら、建物の中を入り、内装やこの家具コレクションたちを肌で感じた時、その時代の空気感がよみがえり、恍惚とした気持ちに、痺れていた。そこに、何かが宿っていたのだろうか? いや、人の思い、希望、文化、歴史が渦巻いていたのだと思う。
●人の思惑と歴史を旅する「神」
その都市開発から、50年がたち、インドでは、古くなったこれらの家具は、大量に捨てられ始める。人々にはゴミ同然の存在となり、誰もこれらの家具の価値も、必要性も感じない時期が到来した。
そんなある時、そのゴミの山を偶然発見した、フランスのギャラリストが、捨てられた家具を集め修復し、ストーリーを語り(付加価値を付け)、世界各地で展示会を行い、本を出版し、誰も知らなかったピエーレ・ジャンヌレを一躍スターに押し上げる。この フランスのギャラリストによって、人為的・作為的に、チャンディ―ガルの家具ブームが作られていった。
そして、このブームを作り上げた、このギャラリストを中心に、フランスやNYで高額に取引が始まります。今や、ジャンヌレのチャンディーガル家具コレクションの「オリジナル」は、1脚7000~8000ユーロ、日本では、100~300万円にもなる時があるそうです。
「希望」や「夢」を担った家具が、一度は、「ゴミ」と化し、そして一瞬にして人々の注目を集め、「光」どころか「宝」と化していく。
まったく同じプロダクトが…。
そして、私たちは今、インドの工房と、その続きを、ジャンヌレの思いに耳を傾け、歴史を、文化を、紡ごうとしている。
これからの新たな歴史のなかで、私たちも、私たちのデザインも時代と文化に翻弄され、時には「ゴミ」となり、「光」となり…「何かが宿る」ことにもなりうる時があるのだろうか。
(2019年2月12日更新)
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▲インド滞在中のコルビジェとピエーレ・ジャンヌレ。1960年代。写真:Photo courtesy of Studio Indiano, Chandigarh / Archives Eric Touchaleaume, Paris。
▲1950年当時のジャンヌレの家具。写真:著者によるスナップ写真。(クリックで拡大)
▲チャンディ―ガル都市開発時に建てられた建築。写真:著者によるスナップ写真。(クリックで拡大)
▲大量に捨てられていく、ジャンヌレの家具。写真:courtesy of artist Amie Siegel and Simon Preston Gallery, New York, 2013。(クリックで拡大)
▲フランスのギャラリスト、パトリック・セガンのジャンヌレの世界。写真:https://www.patrickseguin.com/fr/(クリックで拡大)
▲新たにインドの工房と歴史を紡いでいくイノダ+スバイエのコレクション。(クリックで拡大)
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