pdweb
無題ドキュメント スペシャル
インタビュー
コラム
レビュー
事例
テクニック
ニュース

無題ドキュメント データ/リンク
編集後記
お問い合わせ

旧pdweb

ProCameraman.jp

ご利用について
広告掲載のご案内
プライバシーについて
会社概要
コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その73:「メモスケッチ」のすすめ

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(ハーフマラソン91分、フルマラソン3時間20分、富士登山競争4時間27分)。



●「閃き」は即メモれ!

喫茶店のナプキンに何気なく荒っぽく描いた「スケッチ」。結果として、それがものすごいヒット商品が生まれるきっかけになったという逸話はよく聞かれる話だ。これはおそらく真実ではないかと思う。閃きとしてのアイデアは机の前ではなく、脱力した生活の日常で、脳がフリーな状態で降りてくるパターンが多い。頭も力を抜いた状態でないと、本来の人間の能力というものは発揮できないのかもしれない。禅の世界でいう「無」の世界とはこういうことなのかなと感じる。

アルキメデスが浴槽に浸かっている間に閃いた「アルキメデスの法則」の逸話は有名である。「脳」というものは潜在意識の中に「お題」を一度放り込んでおけば、ありがたいことに考えていなくても実際は脳の奥のほうでカシャカシャと情報収集と分別を自動的に行ってくれている。脳は24時間営業なのである。その汽車の切符のようなものが「スケッチ」なのだと思う。

突発的な組み合わせから起きる「閃き」というものは、真面目に論理的に考えていってもなかなか発想としては生み出せない。真面目過ぎる固い頭や、正攻法の理論の組み立てではまず「革新的」は絶対に生まれない。よく、ブレインストーミングとして、グループワークでやるKJ法とかも、世界観という全体像は短時間で視覚化はできるのであるが、決定打となるような「閃き」は生み出せないのが事実であろう。

その場では、感動的な「やった感」は獲得できたとしても、客観的に見れば「革新」は見いだせない。「革新」は図書館やスマホの中には存在しない。自分の解放された脳の中にしかない。問題はそれを確保するのが非常に困難だということである。

「閃き」は実は常に自分の周りを海中の魚のように通っているものだ。ポイントはそれに気が付くかどうか。もし、幸運にも気が付くことができれば、その瞬間に「メモ」を取ればいい。「メモ」を取らなければ、その気づきはまた忘却の中に消えて行って二度と手にすることはできない。このことは、テキスタイルの巨匠の新井淳一氏から散々聞かされていた。厳密にいえば「メモ」は言葉だけの忘れないための記録であり、「スケッチ」は図象化を伴った記録だろう。

●図と言葉でメモスケッチ

図と言葉の組み合わせでその情報量は最強となる。たった数秒のこの行為で今後が決定する。「メモスケッチ」という言葉は世の中にはないが、ニュアンス的にはこの発想のつかみ取りは「メモスケッチ」と定義していいと思う。これが存在することで、その後のプロジェクトがぶれずに進んでいくのである。

「メモスケッチ」の手法に関して言えば、筆記具としての画材や紙の質はまったく関係ない。それよりも大事なのは「タイミング」だ。会社員時代のインハウスデザイナーだった時、海外出張の時差ボケで、ホテルで爆睡している時に、重要な伝達事項の国際電話があった。電話をかけてきたのはスピーカーの設計部長で、その方はいろいろなことを熟知していて、こちらが寝ぼけているのを察して、とにかく枕元にあるであろうボールペンとメモ用紙で今から言うことを書きとれと指示があった。どんなに寝ぼけていても、それだけはできた。海外のホテルで単身だったため、翌朝にはそのまったく記憶に残ってない「メモスケッチ」を手掛かりに事なきを得た体験がある。「メモスケッチ」はものすごいのである


●自筆メモのススメ

睡眠とは一種の脳のキャパを作るための忘却の時間である。いいアイデアもその場で書き留めておかなければ、目覚めた後にはすっかり記憶から消えているものだ。だから取り戻すのは不可能に近い。ただ「忘却効果」があるおかげで目覚めの朝はすっきりしているのだと思う。これはありがたいことである。

なんでも「明日やります」という輩が多いが、その種のほとんどの人は永久に何もやらない。仕事に関しては、とにかく今すぐやるパートナーでなければいい仕事は生まれないというのも経験値で言える。仕事は忙しい人に頼めという教訓があるが、深層部分で、共通した原理があるのだと思う。

どんな暇な人でも、よく考えれば、やるべきことというのは実は無限大にあるはずだ。それに優先順位を付けていけば、まず今やることがはっきりするだろう。そして「メモ」の記録はPCやスマホの文字打ちではなく、自筆でのメモのほうが何倍も速いし、筆圧や図で圧倒的な情報量を含んでいるものだ。そしてメモ用紙をちぎって、ポケットに入れればどこにも持っていけるのである。こんな便利なものはない。

●メモで人生が変わる

ここ数年、大学入試の試験監督の仕事が増えてきた。実技としてのデッサンの課題の監督と作品評価とかもしなければならないのであるが、デザインを学ぶ人にとっての「デッサン」の意味を考えてしまう。

そもそも、「デッサン」って、あるものを客観的に、鉛筆などで忠実に表現する技術のことだと思う。そこには色の要素もないし、視点の移動もない。それは、あくまでも固定された視点から、見えるものの在り方を忠実に表現するのである。形状や質感や光の書き写しである。確かにモノの観察眼という意味では役に立つ。しかし「デッサン」では、意図的な誇張表現は評価のマイナスの要因にしかならない。

それと対比できるのが、デザイン作業の上流に位置する「デザインスケッチ」もしくは「アイデアスケッチ」である。前述の「メモスケッチ」よりは、描き込んでいて第三者にも分かるようには描くのであるが、そこに描かれているものは、現実に存在しない自分の頭の中の世界の描き写しである。

ポイントを強調するために、誇張した表現もするし、色の感覚も大きく影響してくる。その色の表現も現実的である必要はない。結果として意図が伝わればいいのである。「デザイン」という職種において、世の中にすでにあるものを作るのは「模倣」というNG行為になるわけで、見えないもの、この世にないものを描くことに意味がある。これは料理人のスケッチも同じではないかと思う。レストランのカレーライスを忠実にデッサンしたところで何にもならない。それよりも料理が冷めないうちにカレーライスを食べるべきだろう。描く必要があるとすれば、誰も味わったことがないお皿のイメージだろう。

自分の毎朝のルーティーンとして、その日にやることを、Googleの予定表とは別にメモ用紙に時系列で描き込んでいく。当然、これからのことを書きだしていくのですべての項目は未来形で、消化したタイミングで赤で塗りつぶしていく。どんな些細なことでも、1つひとつが希望が現実化されたという証となる。

ふと夜中に目覚めて、明日やることを書きだすときも多い。だから、自分の枕元には必ずポストイットとボールペンがある。どんなホテルに行ってもベッドサイドにメモとボールペンがあるのはとてもありがたいものだ。時間は誰にも公平だが、その使い方によって時間の密度は大きく異なる。こういう小さなメモの蓄積で自分の人生は大きく変わってくる。羅針盤みたいなものだ。方向性を明確にしてくれる。もし、何か大きな目標があれば枕元のメモは強くお勧めしたい。今すぐやろう。


2024年9月1日更新




ソーラーパネルを前輪に設置した電動自転車のアイデアスケッチ。明け方突然目覚めて描いたもの(クリックで拡大)

▲名古屋プロダクトデザインコンペ二席「リサイクリング」。プロトタイプモックアップ。インターナショナルデザインイヤーブック収録。(クリックで拡大)


「自立する靴ベラ」アクアリウムシリーズ。左がアイデアスケッチ、右が製品。自分としてはまったく同じものに見えるのであるが。(クリックで拡大)







Copyright (c)2007 colors ltd. All rights reserved