●気温の「体温越え」
真夏の時期、空調のしっかり効いた部屋から一歩外に出た瞬間に浴びる熱風。
何となくこの熱風を浴びる瞬間がほんの少しだけ嬉し懐かしく感じるのは、バックパッカー時代に、赤道直下の国に飛行機が到着して、タラップを降りる時に浴びた熱風の記憶に似ているからだ。空港の熱気の中で、謎の果物の酸っぱい香りとか、民族音楽の打楽器の音が熱風とブレンドされて100%の異国を感じることができた。これから、この国で始まる旅にとてもワクワクしていた。異国での熱風の洗礼はどちらかというと、自分にとってはポジティブな思い出なのである。
近年の、異常な日本の夏の気温は、異国感はないものの、気温そのものが赤道直下の感覚に近い気温になったということなのだろう。5年後とか日本の夏はさらに暑くなっていくのかと想像すると怖いものを感じる。この調子だと、夏の東京も確実に40度越えになっていくだろう。しかし、ほんとうに暑い!
そもそも、気温の「体温越え」などという言葉はつい最近使われ始めた言葉だ。インドのマハラジャとかで、王様の周りに、美女集団がいつもいるのは、1つの冷却装置であると聞いたことがある。 体温越えの気温が日常であれば、当然人間の体温のほうが低いわけで気温40度越えでも、美女集団の中は36度前後が保たれるということで理にかなっている。でも、これは王様限定である。王様はいつも涼しいのである。
●大樹の木陰
エジプトや、セネガル、マリ、ハイチなど、日中の気温は50度を超える。気温が体温を超えると、例えば車の移動中とかでも窓を開けるとかえって熱くなるのである。これはヘアドライヤーの熱風が窓から吹き込んでくるのを想像してほしい。
日中の最高気温が50度を超える場所の場合、ほぼ人々は活動を停止して、木の下の日影部分でゆったりと過ごしている。木陰というのは想像以上に涼しく居心地が良いものである。おそらく、葉っぱ自体も水分を含んでいるし、植物として地中に張り巡らされた根から水分を絶えず上方向に汲み上げているということも、涼しさに関与しているような気がする。
都会のビルの影の中とは快適さがずいぶんと異なる。赤道直下の木陰での休息時間は、そこらの犬やヤギやらよく分からない哺乳類も皆一緒に木陰で寛いでいるので牧歌的で平和な時間でもある。村の生き物が集合し寛ぐランドマークなのである。生活の知恵として、暑いときは、まずは樹の下に移動する。そしてなにもせずにじっと樹の下で過ごすということが大事なのである。夕刻になれば涼しくなってくるので、そこからまた活動再開すればいい。
村には大体ポイントとなる大樹という存在があり、コミュニケーションの場として成立している。居場所もあり集会所的な用途でも使われていたり、長い年月を経ても、常に村人にとって有意義な存在である。これは世界的に共通なことだと思う。日本の場合だとこういう大樹はご神木として、神社もすぐ近くにある場合が多い。よく訪れる富士北口浅間神社とかも、ものすごい巨大な杉の木が鎮座して圧巻の眺めである。樹齢千年と記されている。とにかく強烈なパワースポットである。
大樹の近くにいるだけで強烈な安心感を感じる。そして居心地よく、とにかく涼しいのである。何かの成分が大樹から外界へ放出されているような気がする。長い年月を経て育ってきた巨木には何かが宿っている、我々が未来のために大事に守っていくべきものだと思う。過去からそうやって受け継がれてきたから今があるのである。
●都会と森
現在、東京でも神宮の森の再開発とか言っているが、大樹は安易に切るものではないと思う。森は保存するべきで、この時代を考えればむしろ拡張していくべきものだと思う。さらに、地表のアスファルト化は地表をホットカイロのような蓄熱材で埋め尽くしていくような行為であり、夜間の東京の熱帯夜を増長する原因にもなっている。
都心にある森というのは貴重な存在である。東京は上から見ると、皇居の緑があり、神宮外苑、代々木公園と緑地帯が広がっている。ニューヨークのマンハッタンも、広大なセントラルパークがあるおかげで、市民のメンタルの健康が保たれているような気がする。何もしなくても、ただ座っているだけで癒される場所だ。もし、セントラルパーク再開発で商業施設の話が上がったら、市民の猛反対で一瞬で却下されるはずだ。
都会の中の広い森というのはとても大事な存在だということをニューヨーカーが一番よく理解しているはずである。神宮の森があるおかげで、東京の気温はいくらか下がっているはずだと思う。とにかく、森は増やすのは賛成だが、減らすのは大反対だ。
先日大学院の授業で、伝統的な日本の住宅の庭の話をしたら、留学生たちがとても感心していた。日本の住宅は建物の南側に庭を作り、広葉樹を植える様式がある。広葉樹は夏は日影を作り、秋には紅葉の後、葉を落として寒い冬でも室内に日が差すように工夫されている。吉祥寺の祖母の家がまさにこれだった。南側に張り出した縁台に腰かけて、四季の変化を楽しむことができたのが懐かしい。冬は、集めた落ち葉で焚火をして、皆で焼き芋を食べたりもした。焚火の炭はまた地面の栄養と還元されて、春にはまた元気に植物が育っていく。とても良くできた仕組みだと思う。
日本人の知恵が最近はどんどん失われているような気がしてならない。涼しく過ごす方法というのはもっと真剣に議論しなければならないと思う。アスファルトを土に戻していくことも大事だと思う。「体温越え」の次に来るのは「何越え?」なんだろうか。
P.S.
地球温暖化が進んでいく一方で、南極の氷がずいぶんと解け始めている。極移動という現象が以前の地球で起きたといわれているが、南極の氷の下に埋もれていた太古の文化の遺跡が現れてくるのではないかと内心期待している。
2024年8月1日更新
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▲富士北口浅間神社。樹齢1000年以上の大樹がそこら中にある、最強のパワースポットです。富士山信仰のルーツがここに集結している感じがあります。このエリアは涼しく神々しい空気感がいつもあります。(クリックで拡大)
▲浅間神社の中でも巨大な「太郎杉」樹齢1000年。近くにいるだけでパワーをもらえそうです。(クリックで拡大)
▲「メルティングシート」(2005年)以前日経デザインの表紙にもなった、木製の低座椅子。五軸NCで削り出しで作成。北海道の「TUC」で製作。かなり話題になった作品です。(クリックで拡大)
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