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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その65:時間投資ということ

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(ハーフマラソン91分、フルマラソン3時間20分、富士登山競争4時間27分)。



2024年。今年もよろしくお願いします。
年頭なので、今回のコラムは「時間投資」について考えてみます。

そもそも「投資」とは実現したい未来に向けて、現在の自分の持っている「何か」を犠牲にすること。それによって、犠牲にしたものの何倍もの大きなものが手に入る可能性がある。可能性があるというだけだから、もちろんただ失うだけというリスクもある。私自身は株とかの金銭的な投資は経験がなく、これからもないと思うのだが、自分の能力とかスキルアップに対しての「時間や努力の投資」は非常に興味がある。

先日、飛行機の隙間時間で本屋さんに行くと、「DIE WITH ZERO」という書籍が目に留まり、パラパラと見てたら気になる内容だった。そのあと検索してみたら、実はちょうど1年前にアマゾンキンドルで購入していた本だった。しかも、履歴を見るとたくさんマーカーでチェックが入れていたのである。もう一度ちゃんと読みなさいということなのだろう。時間投資に関して、改めて考えさせられる良い本である。

コロナ禍を通過してきて、人々の生き方や価値観にも変化が生まれているのは間違いないだろう。誰もが「死」という現象を考えざるを得ない時間を少なからず過ごしたはずである。自己投資ということを考えた場合、自分を顧みれば、本業のデザインに関して言えば、20代、30代では、生きているほとんどの時間をデザインに費やしてきた。

●ギリギリまで働いたソニー時代

ソニー社員だった頃は、週末はまず、海に波乗りに行ってから、そのまま会社に行き、徹夜で仕事をするという感じだった。大体、毎週月曜朝にデザイン会議があり、プレゼンするというリズムだったのでそれが必然的だったのかもしれない。もちろん、それ以外の平日も、22時などギリギリまで残業をして、その後、同僚や先輩と最寄りの五反田駅で20分だけ、サクッと呑んでから帰るというのが日常だった。だらだらと呑むということはほとんど物理的にもなかった。しかも、毎朝8時半出社で、通勤ラッシュピーク時の新宿と渋谷を通過しなければならず、非常にしんどかった記憶がある。

かなりの睡眠時間が犠牲になったと思う。水曜日だけはノー残業デイということで、会社での残業が全面的に禁止されていた。しかしながら、今考えると当時のソニーという企業は、デザイン部に限らず社員が異様なまでに元気だった。仕事も遊びも半端なく徹底していた。その個人のエネルギーが集団の大きな渦となって、企業としての推進力を生み出していたとしか考えられない。背後にあるのは、各個人のとんでもない体力と気力だ。

ソニーには約8年間在籍していたが、そのうちの4年半はアメリカ駐在であった。東海岸にすんでいたものの、やや強引に有給休暇をとって、北米、中米、南米と10日間ほどのバックパッカーを頻繁に行っていた。北米でもレンタカーを借りて、ユタ州の自然公園を3日間走りまくりとか、とにかくいろんな場所を旅してきた。

●経験の蓄積が生きる

日本に戻って、またすごい勢いで1年間みっちり仕事をして29歳で独立した。ちょうど、バブル崩壊の後で、デザイン市場としては荒廃した中だったので、いい仕事がたくさん転がっているわけでもなく、ひたすらコンペで賞を獲ることに集中した。やがてデザインコンペの受賞の数に比例してクライアントから新規仕事の発注も増えてきた。30代のほとんどの時間はデザイン作業だけで、娯楽に当てる時間もお金もなかった。気晴らしに飲みに行ったりというのもほとんどなかった。しかし、そのおかげで、デザイン作業のみに費やした膨大な時間が、自分の基軸のぶれないベースとなって現在の自分の立ち位置と環境があるのである。

アメリカ時代のバックパッカー経験も、物事や文化を思考する上で非常に役に立っているし、費やした時間や費用以上の見返りとなっている。正直な話、ノープランの貧乏旅行で得た経験がここまでデザインに後で役に立つとは思わなかった。

最近、自分の作品集を見直そうと、過去の作品の写真を並べてみると、とんでもない数でいまさらながら驚く。中には、記憶から消したい作品もあるが(笑)。我ながらよく仕事してきたと思うのであるが、同時に過去を振り返えることの危険性も感じてしまう。大事なのはこれからなのである。過去を振り返って満足した気になるのはまずい


●走りながら思考する

では、自分は現在は何に時間を投資しているかといえば、もちろん本業のデザイン作業は優先ではあるのであるが、それ以上に重視しているのが毎日必ず60分以上身体的な負荷かけるということ。具体的には、月に300キロ以上の走り込みである。こういうのはさぼらないためにも数値管理するに限る。そして、ジムのトレッドミルではなく、とにかく外を走ること。足をケガしている時は、ゆっくり歩くでもその距離は合算してもいいという条件にしている。月300キロ以上だと1日換算で10キロ以上になる。まあ、実は10キロって、歩いても2時間くらいで消化することができる。

SNSなどの無駄な時間をなくせば、2時間なんか余裕で確保できるはずだ。一時期はコロナでマラソンレースが立て続けにキャンセルになり、ランニングそのものにモチベーションを失ったのであるが、最近またなんとなく復活してきた。走ったり、歩いたりという時間は決して無駄な時間ではない。歩きながら仕事をすればいいのである。いろんな段取りを再構築したり、何か大事なことを思い出したりするのもこの走っている時間の中が多い。CADの面貼りの手順なども走りながらできる。むしろ、机に向かっている時間よりもクリエイティブな感覚がある。現代人こそ、ネットから接続解除された思考と感覚の時間が絶対的に必要だと思う。、

●毎日の鍛錬に時間投資を

車や工具は、消耗する部品を交換して、しっかりメンテしていけば結構長く使えるものである。しかし、人間の身体はそもそも交換部品がない。基本的には一生同じものを使用する。だから、すべての部品が重要だし、大事にしていかないといけない。そして、人間の能力って使わないとどんどんと退化していく。これは実に恐ろしい事実である。でも、能力を維持するレベルより、ほんの少しだけでも毎日頑張っておけば、能力的には間違いなく向上していく。それは数値としての記録として認識できるものである。

逆に言えば、鍛錬を意識していないで過ごしていると、一気に退化してしまうということだ。劣化していきたくなかったら、毎日意識して鍛える必要がある。毎日走るということは、マラソンでいえば、タイムが速くなるという現象で確認ができる。実際、この3ヶ月、300キロ以上を実施してみた結果、毎月の20キロのマラソン大会のタイムが7年前のものに戻ってきた。これは正直、自分でも驚いた。毎日の練習は絶対に裏切らない。これは、運動に限らず、楽器の練習とかCADの面貼りとかでもまったく同じことがいえる。毎日、一定時間の鍛錬の繰り返しを続けるしか向上の方法はないのである。そしてその努力の結果が、数値で認識できればそれが明日の継続のモチベーションとなってくる。

人間の身体や脳ってパソコンのOSのように、ネットにつないでアップデートできるものではない。今あるパーツで頑張らないといけないのであるから、もう少し大事に扱った方がよい。それにはまず、身体能力に対する鍛錬の「時間投資」が不可欠だと思うのである。身体が良く動けば、その分仕事もできるものだ。


2024年1月1日更新




▲有田焼「種」(青山窯)。(クリックで拡大)






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