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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その59:ふたつの記憶

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

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[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(ハーフマラソン91分、フルマラソン3時間20分、富士登山競争4時間27分)。



●自動削除される記憶

記憶にはどうも、まったく異なる性質の2種類があるようだ。「短期的記憶」と「長期的記憶」である。「覚えている」と「覚えていない」の関係に何が関与しているであろうか?

仕事上、いろいろな製品を毎日のようにデザインしているが、その製品化までの過程ではそれぞれの細かい寸法制限というものがあって、それを設計者とギリギリまで詰めながら全体のフォルムを構成していく。プロジェクトの図面は、それぞれの個所が地図の番地のように細かい寸法が頭に入っているので、設計者とは何もない屋外でも電話で歩きながら打ち合わせできる。例えば「147を1ミリ詰める代わりに、74のところは75でお願いします」といった会話を繰り返すことで、全体のサイズ感ができ上がってくる。

しかしながら、その一連のプロジェクトが終わると、すべて覚えていたはずの寸法関係の記憶がまったくと言っていいほど消去されてしまう。仕事の期間はおよそ2月くらいだが、その期間はしっかりと記憶にあるのに、突然その記憶があっけなく消える。映画「メン・イン・ブラック」さながらなのである。

これはどうも、脳の記憶のシステムがホワイトボードのようなものなのだと思う。ある程度描き込んでその記憶を使い倒して、そのサブジェクトが終了した時点で、新規のプロジェクトを始めていくには、一度きれいに消し去らないと新しく描き込めないし、描き込むほどに混乱が生じてくる。だからいったんホワイトボードを白紙にする必要があるのだろう。あえて、記憶を消すことで次の情報を入れ込むスペースを作り出しているのだろう。そう考えると、脳の中の記憶の仕組みというのはよくできている。

出張などで大きなホテルに泊まっている時、外出するたびに自分の部屋番号を覚えていると思う。最近の部屋のキーはキュリティーの関係でほとんどがカードキーで部屋番号はカードキー自体には記載されていないのが普通。これも、やはり先ほどの短期的な記憶と同じで部屋番号は宿泊中は覚えているものの、次のホテルに移動してしまうと、きれいに忘れてしまう。便利にできているものだ。

●忘れられない記憶


このような短期的記憶がある一方で、生きている限りは忘れないような長期的記憶がある。それは、人それぞれで異なってくるとは思うが、楽しかった瞬間の記憶もあれば、トラウマになりそうなネガティブな記憶も多い。

楽しく生きていくことを考えていく上では、友達との旅行の思い出やスポーツや音楽の成功体験が多いほど、良い記憶に包まれて過ごす時間が長くなるだろう。人生最後の数分間があるとすればそこで、楽しかった思い出だけを回想して、ああよかったなあ、で終了できればそれが一番だ。しかしながら現実的には辛いことやネガティブな記憶の方が何故かずっと深く刻み込まれて、常に底の方に残る傾向にあるような気がする。

これは一体どういうことなのだろうか? 1つ考えられる理由は、将来に対する危険回避である。一度危険な目にあった場合、その引き金となる要因からできるだけ距離を置くことができるようになる。記憶が強烈なほどそれを反復するのを避けるようにできているのではないのだろうか? そう考えるしかない。悪い記憶ばかりが蓄積されていくのでは、毎日のモチベーションも下がっていってしまうだろう。

今日起こった悪い出来事の記憶を希薄させるのに有効だと思われるのは、まずは運動して汗を大量に出して湯舟に浸かることだ。サウナと水風呂も効果がある。あとは、ひたすら寝るだけ。寝るのを繰り返すことでネガティブな記憶は希薄されていく。

●突然現れる記憶

そもそも、記憶というのは水彩絵の具のように、次の記憶で塗り重ねていって日常からその記憶がどんどん薄れていくものであるのだが、長い年月を経るとそれらが油絵具のようになり、過去の記憶自体は表面上からは見えにくくなってくる。しかし、突如として絵画のX線写真から全然異なるスケッチが露呈するような感じで、過去の記憶がよみがえってくる時がある。

記憶というものは、すっかり忘れているようでも、実はきちんと格納されているから恐ろしい。過去の記憶がよみがえってくる場合というのは、その記憶自体が何か別なものと、紐づけされているケースが多い。何かの匂いであったり、特定の場所であったり、季節であったり…その紐づけの要素はさまざまである。ただ、記憶が香りと紐づけられたときはどうもその記憶の再現性が著しく高いような気がするのである。

●男と女の記憶

男性と女性でも記憶に対する格納の仕方はかなり違うと思う。大体において言い争いになった場合、男性がほとんど忘れてしまっていたことを、いきなり次から次へといわれることも多いだろう。性差による記憶の格納方法が異なるのはとても興味深い。しかし、男性が女性に合わせようと、頑張って記憶を残そうとするのは所詮無理な話だろう。可能な限りポジティブな記憶を共有していくしかないだろう。

以前は、毎日の生活において、何か所か主な電話番号を覚えていたと思う。それも何年間もである。しかしながら、スマホの普及で覚える必要がなくなったとたんに、自分の電話番号すら分からない。過去に覚えていた電話番号も忘れている。今すぐに思い浮かぶ数字の羅列は、住所の郵便番号とアプリのパスワードくらいではないだろうか?

大化の改新とか平安京とかの年号は覚えているけど、そんなに役に立つものでもない。デザインするときには数字の短期的記憶と、心地よかった時の感覚的な記憶の2つがあればなんとかなるような気がする。

記憶に関しては、まだまだ分からないことがたくさんある。直木賞受賞作の「緋い記憶」という短編小説集がある。著者は高橋克彦氏。非常に面白くて読みやすいので、夏の読書としていかがでしょう? 何度読んでも楽しめます。


2023年7月1日更新




▲「富士浅間神社」。強烈なパワースポットである。富士山の気をものすごく感じると同時に、長い年月のたくさんの人の記憶に残る場所であることが想像できる。ここに来ると、浄化されます。(クリックで拡大)



▲「酒舟石のプレート」 奈良の飛鳥にある酒舟石をモチーフにしたフレンチのプレートで食事ができます。間シェフの依頼で有田焼 李荘窯で製陶。CADで新しい解釈でリ・デザインしました。太古の記憶のお皿です。竹芝のフレンチレストラン「SUD」。 (クリックで拡大)
https://sud-terakoya.jp/










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