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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その56:沈丁花

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(ハーフマラソン91分、フルマラソン3時間20分、富士登山競争4時間27分)。



●香りが誘う記憶

人間の「記憶」に一番密接な感覚は「香り」だ。

ふと、何らかの香りが自分の前を横切った瞬間に、過去のある時期の記憶が細かいディテール含めてよみがえってくる。視覚、聴覚、触覚などの五感と呼ばれる感覚器官の中でも、嗅覚の記憶収納場所が海馬に最も近いからだという説もある。ただ物理的な理由だけではないだろう。

母の実家が吉祥寺にあり、私は幼少の頃から吉祥寺の善福寺公園に近いその実家によく訪れていた。趣のある平屋の一戸建て木造建築で、ちょうど大正期の和洋折衷の上品な建物であった。アーチを描いた白い天井の書斎が今でも脳裏に焼き付いている。

門を入ると玄関まで「沈丁花」が植栽されていて、春先になるとその香りでいっぱいになったアプローチを潜り抜けて玄関に向かった。玄関を開けると、左側に大きな水槽があり、大型金魚のランチュウが数匹泳いでいて、ポンプの音がいつもしていた。

リビングのソファーに座ると、近隣の誰かがピアノの練習をしていて、「エリーゼのために」のあのサビの低音連打の部分がいつも聴こえていた。繰り返されるその演奏は、不思議と不快ではなく、高級な紅茶の香りのような感覚だった。沈丁花の香りとその音楽がセットで、幼少の吉祥寺の記憶として今でも残っている。

春先の公園を歩いていると、どこからともなく沈丁花の香りがやってくることがある。そうするといつも、吉祥寺の家とエリーゼのための音楽が再生されてくる。記憶は瞬時に幾度となく解凍されるものだ。

●におい、匂い、臭い


嗅覚は記憶と密接だ。だからこそ、不快な記憶と紐づけがされてしまうと厄介なものである。アメリカに住んでいた時、回転ドアというのがそこら中にあった。日本ではあまり見かけないが、アメリカやイギリスではよく見かける。僕はいつも、息を止めてからそれを潜り抜けるようにしていた。強烈な香水のご婦人がこれを使うと、ほぼロシアンルーレット状態になるのである。

そもそも、日本のほうがにおいに対する感覚は敏感なのかもしれない。「香道」という文化があるくらいだし。臭いは眼に見えないだけに恐ろしいものなのである。

小学生の頃、友達の団地のドアを開けるたびに、それぞれまったく異なるにおいがしてきた。それぞれの家族の生活臭というものがこれほどまでに異なっていることにびっくりした。バックパッカーやっていた時も、それぞれの街に独特な臭いを感じた。場所はにおいと密接に紐づけされているのである。またその場所を訪れてみたいかどうかは、その場所のにおいに左右されているのかもしれない。

今の世の中は映像の時代である。スマホの画面のように「視覚と聴覚だけ」での情報で物事が進んでいくし、そういう場に身を預けているともいえる。しかし、それだけでは情報としては記憶に残らない記憶の垂れ流し状態なのである。 人間の記憶に楔を打ち込んでいるのは「嗅覚」であるという部分を忘れてはいけない。その「嗅覚」が心地よい体験と紐づけされたときに「記憶の再現」という快楽が存在するのである。

●香りとデザイン

「冬」の自然界には基本的に色がない。モノトーンに近い時間が過ぎていく。冬を抜けて最初に現れるのが「蝋梅」の黄色。 これはまたかなり妖艶な強い香りを放つのである。毎日ジョギングしているとこの蝋梅の出現がとても嬉しい。春の到来の第一声は間違いなくこの蝋梅である。そして次に、大好きな沈丁花の出現である。

沈丁花は色はあまり強くはないが、香りがとても強いので、視界では見つけられなくても、すぐに春の到来を認識できる。不思議なのは蝋梅も沈丁花も毒性が強いという共通点。これはやっと現れた花に対して、動物が近寄らないような仕組みなのではないだろうか? とにかく心情的にも、そっとしておいてあげたいものである。

蝋梅や沈丁花が終わると、梅が咲き始め、あっという間に桜の次期になる。視覚的にはとても豪華なのであるが、梅も桜も香りはあまり感じない。何か理由があるのだろう。梅はたくさんの浮世絵で描かれるように、枝ぶりの造形がとても絵になるし、日本人が大好きな桜はその微妙なピンクの白が日本人の美意識に重なっているのであろう。

自分の仕事を振り返ってみて、「香り」に関係するものもいくつかデザインしてきた。ちょうど今、世の中はマスク外しのタイミングなので、もっと香りに対しての意識を強めてもいいのではないかと感じてしまう。

要は記憶に残るかどうかなのである。



2023年4月1日更新




▲沈丁花。見た目は決して派手ではないし、存在感もない花なのだが、香りがとても上品でなおかつ強い。この香りを感じてから花の場所を探すこともある。自分の中では祖母の家と記憶がリンクしている特別な存在でもある。(クリックで拡大)



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