pdweb
無題ドキュメント スペシャル
インタビュー
コラム
レビュー
事例
テクニック
ニュース

無題ドキュメント データ/リンク
編集後記
お問い合わせ

旧pdweb

ProCameraman.jp

ご利用について
広告掲載のご案内
プライバシーについて
会社概要
コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その38:アルコールについて

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



SNSなどで、この人は明らかに泥酔状態で投稿しているなあというのをよく見かける。そういうのって、すぐに分かってしまうので、自分も含めて気を付けたほうがよいだろう(笑)。そして皮肉にも、そういう投稿ほど、読まれたりしているものなのである。

夕方以降だと、自分もワインとか飲みながら作業をしていることが多いのだが、重要な作業はやはり午前中に片づける。お酒はどう考えても、仕事効率はやはり下がるだろう。とにかく、鉄則は「呑んでも、飲まれるな」。今月はアルコールについての話を、曼荼羅のように書き連ねてみよう。

●モスクワのウオッカ

1960年代のヒッチコックの映画などによく出てくるシーンで、犯人に追われているとか、事件を目撃した直後などのまだ息使いも荒い状態で、友人のマンションにたどり着いたとき、その友人の一言が「飲むか?」なのである。

当時のアメリカやイギリスでは、来客にウイスキーとグラスで、もてなす習慣があったように思える。確かに、お茶と違ってお湯を沸かしたり、用意する道具も少ない。映画の中では、オフィスや客間のサイドボードに、ステンレスのお皿に置かれたガラスのウイスキーセットが普通に置かれている。これは簡単でよい。そうでなくとも、いつも何かに追われながらバタバタと忙しいニューヨークの生活では、ウイスキーやブランデーのストレートが合理的なのだろう。街全体が、24時間、セロニアス.モンクの「ストレート、ノーチェイサー」なのだろう。

大学生の時、初めて降り立った海外の空港がモスクワだった。何事も経験と思い、空港のバーカウンターでビールを飲んでみた。極端に人が少ない空港で、音もなく円形の真っ黒なモニターが一定間隔で吊り下げられていて、文字は見たこともないような不思議なデジタルっぽいフォント。まるでタルコフスキーの映画のセットのようだった。そこの異様に長いカウンターに座っていると、反対側のテーブルに、オレンジ色の毛皮のコートに赤い帽子をかぶった、やたらお洒落なお婆さんが座った。ロシア語で何かを注文していたが、見れば、「ウォッカストレートとオレンジジュース」の組み合わせだった。人生で初めて、かっこいいお婆さんを目撃した瞬間だった。

しばらくして筆者の近くに40代くらいのロシア人男性が着席したので、少し世間話をした。自分が初めての海外で、これからスペイン建築を回る予定だということなどを話した。会話の途中から、この人がボリショイバレエの指揮者だったということが分かりびっくりした。とても贅沢な時間だった。日本の文化にも詳しくてびっくりしたが、自分自身が「禅」とは何か? とかうまく英語で語れなかったのが残念だった。もちろん当時は日本語でも自信のある説明はできなかったが。

彼はよく得体のしれない日本人学生に付き合ってくれたと思うが、後々、人生で本質的に成功した人って、決して威張ったりしない自然体であることが多いことを知るのである。このわずか2時間ほどのモスクワ空港のバーでの時間からたくさんのことを学んだ気がする。

●セネガルのビール

今まで何度かバックパッカーをやっていたことを書いたが、なぜバックパッカーをやり続けてきたか? 答えは1つで「胃腸が丈夫」だったからだ。バックパッカー初心者は大体の場合、インドの出発地点あたりから、すでにホテルの天井の記憶しかないという脱落組に振り分けられるものである。自分の場合は、食べたものはほとんどそのまま燃料として消費されていくので、旅を続けられるのであるが、人生を通して1回だけ身体が全拒否したものがある。

西アフリカのセネガルでの夜。何となく1人で街をふらふらと散歩していた。セネガルは、ジャンベという独特の打楽器が有名で、町中にも至る箇所で、そんな激しいリズムが溢れていた。途中、10人くらいの黒人が円陣を囲んで座っていた。中央にはキャンプファイアのような明かりがある。その中の何人かに呼ばれ、とりあえず安全そうではあるなと判断したうえでその中に混じって座った。

どこから来たとか、たわいもない話をしたあとに、我々はいま酒盛り中であり、ぜひこの自家製のビールを飲んでいってくれという。ちらちらと視界に入っていたボロボロの白いポリタンクがそうなんだろうとは薄々気が付いていたのだが。とにかく、そのビールは気温40度の常温であり、不気味に泡立っていて、製法すら怪しい。とにかく、円形に座って、その白いポリタンクビールの回し飲みに参加してしまった。

まあ、今までの経験則で、そのまま、エイや! と何口か飲んだ。その、わずか10分後くらいである。アルコールで酔っぱらうという以前に、身体が全拒否して一瞬で排出された。あれには自分でもびっくりしたが、人間の体の仕組みというのは良くできているんだなと思った。逆に考えると、排出されないというのは怖いことでもあるなと思う。

よく推理小説などで、気が付かない微量の毒を長年にわたって飲み物に混ぜるとかいう方法もある。日常的な生活習慣では「便秘」は非常に身体によくない現象だと思う。腐敗した生ごみを回収されずに、自らの体内に何日間も保管しているようなものである。「かわいい女の子はうんちなんかしない!」といった幻想は二次元だけであって、飲食物の体内滞在時間は最小限にして、どんどんと入れ替え制にして、清流のように保つのが健康の要なのである。これは断言できる。流れの速い清流なのか、それともほとんど水の動きのない沼なのかの違い。

●日本の酔っ払い

日本ほど酔っ払いに寛容な国はないだろう。今はコロナでほとんど見かけないが、週末や月曜日の明け方の街には、酔いつぶれた人が座り込んだまま眠っていたり、電車のなかでグダグダになっていたりする。

アメリカに駐在で住んでいた時に、日本のような酔っ払いはほとんど見たことがなかった。皆、飲んでもそれほど変わることがない。イタリアのミラノサローネでも、お昼の商談ランチなどで普通にアルコールは飲んでいるが、それで酔っぱらっている人を見かけたことがない。

日本人がお酒に弱い民族とは考えにくいのであるが、犯罪が海外に比べると比較的少ないという街の安全面が、気の緩みを誘発させているのではないだろうか。駅で転がっていて、財布が朝まで無事であるという状況は世界でも唯一無二の国である。

アルコールを摂取すると、まずは、日常的な緊張感が緩んでくると思う。同時にアセトアルデヒドが体内で作られるが、これに毒性があり、酔いの要因となる。ここから先は各自の毒の分解能力と排出能力で個人差が発生してくる。酔うと集中力も弱くなってくるから、当然、車などの運転や肉体労働は作業効率を落とすどころか、安全面でも非常に危険である。

自分の話で恐縮だが、13年連続で富士登山競争という麓の富士吉田市役所から富士山頂のゴールを目指して一気に走り抜ける、日本一過酷といわれているレースに参加していた。富士山頂に着くと、ひとまずは山小屋で売られている高価な缶ビールを買って、一人お疲れ様会をするのであるが、これがなぜかまったく酔わないのである。ただの苦い炭酸水にしか感じない。あまりにも、身体を酷使してきてエネルギーが超マイナス収支なので、すべてが一気にエネルギー変換されているとしか考えられない。標高3,700mで、酔いでグラグラになりそうなものなのであるが、アルコールがまったく作用しない。それこそ、焼石に水のように一瞬で吸収される感覚なのである。

逆に、平地でも、病み上がりとか風邪をひきかけたときは普段の量でもお酒がきつく感じるときがある。適量というのは状況に応じて自分で調整するべきものでもある。 

●縄文式土器の壺は何のため?

実は、この15年くらい、ものすごくたくさんの酒器をデザインしてきた。素材もガラスから磁器、陶器、錫、真鍮といろいろ産地のいろいろな素材で試行錯誤してきた。3DのCADでガシガシ攻めながら作図することもあれば、正反対に、素朴な鉛筆スケッチだけで職人さんと対峙しつつ、最小限のコミュニケーションだけの表現で作ることもある。

ただ、どのようなアプローチであっても、お酒を飲むという道具として、このカテゴリーはどれも自信をもっておすすめできる器がデザインできたという自負がある。なぜうまくいくのかと問われれば、単純に「お酒を呑むのが好き」という理由しか思い浮かばない。

お酒の世界のプロ中の立場の人からも、デザインした器を非常に高く褒めていただける。お酒に対するリスペクトや愛のようなものが深い人間が、たまたまデザイナーであったというだけで、お酒が好きな人の何かドラえもん的な役割が果たせているのかもしれない。調子に乗りすぎることなく、これからもこの世界の仕事には携わっていけたらうれしい。

最後に、日本の縄文式土器の中に、火焔型土器という素晴らしい造形の壺がある(日本遺産Webサイト参照)。

世界的にもお酒は紀元前5,000年あたりから作られているらしい。お酒というのは人間の感情的な部分に作用する特殊な液体であることを考えれば「偶然の発酵」を発見したことは世界中に共通した大きな出来事なのだと思う。

この縄文の火焔型土器、自分としてはたくさんの酒器をデザインしてきて感じることなのであるが、これの用途は間違いなくお酒を入れるために作られたと思うのである。「お酒」とは「熱くない炎」という表現がぴったりな不思議な液体だと思うのだが、そのコンセプトそのものの造形にしか見えない。もちろん、答えは今となっては誰も分からないのであるが、この土器から縄文の酒を想像するだけでも楽しい。皆さんは、どう考えますか?

 

2021年10月1日更新




▲木本硝子「esシリーズ」。
お酒の香りを最大限に引き出すグラス。。(クリックで拡大)




▲2021年の新作「五種のぐい呑み」。左から「伊万里焼」「有田焼」「武雄焼」「有田焼」「武雄焼」。Webサイトへ。(クリックで拡大)




▲錫のデキャンタ。富山県高岡市「NOUSAKU」。(クリックで拡大)




▲ドンペリ専用クーラー。富山県高岡市「NOUSAKU」。(クリックで拡大)



▲銀座の隠れ家で、マスターと。2018年頃。(クリックで拡大)





Copyright (c)2007 colors ltd. All rights reserved