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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その20:国境ってなんだろう?

澄川伸一さんの新連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

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[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。


新型コロナで、ほとんどの地域で国境封鎖が実施されている。また、1つの国内においても特定のエリアがクローズドされて出入りのできない状況が続いている。当然のことながら生活にかなりのダメージが出てくる。

そもそも、「国境」ってなんだろうか? 国境によって、自分が属する国が確定し、生活の決まり事が変わってくる。それがその国らしさにつながってくる。人種的には同じであっても、住んでいる国が異なることで、健康状態や基礎学力、そして肝心の「幸福度」が大きく異なってくる。また今回のコロナでも、国の対応の仕方がまったく異なるから、結果として数字に表れてしまう。そして国籍は基本的には変えることが困難なものなのである。自分が産まれた国というものは運命として受け入れるしかない。国際結婚という手はあるが、それも大変な手続きがある。

自分は、仕事でアメリカの専門職のVISAを取得し、5年間東海岸で生活したのだが、日本とアメリカそれぞれの良いところを経験できたのは人生の中でとても良かったと思っている。驚いたのは、ガソリンが日本の3分の1の値段であったり、駐車場が安かったり、オレンジジュースがめちゃくちゃ美味しかったり、見知らぬ同士で挨拶したり、月に一回は銃声が聞こえたり…などなど。でも、結論としては、自分はやっぱり日本がいいかなと思っている。温泉に入った後のビールと刺身の船盛は至福なのである。これをハンバーガーに置き換えることはそもそも無理なのである。旅行と生活とでは、実は本質はまったく異なるのだ。隣の芝生は青く見えるのも、お互い様なのである。むしろ、現実的には自分の芝生のほうが青いのである。

地理的には地球の表層には陸と海、湖、川しかない。面積の広い陸地は大陸と呼ばれ、ロシアのように広大な区切りもあれば、ヨーロッパのように細かく国境で区切られている地域もある。イギリスや日本は島国なので1つの国であるのは理解しやすい。でも、こんな小さい国でも、北から南まで細長く、結果的に文化圏としてはかなりの差が生じ、言語であっても方言で聞き取れない地域もあったりはするし、食生活も、カップ麺の味付けを変えるほどに、かなり嗜好も異なる。でも、それでも日本という1つの国のまとまりはあると思う。しかし、1つの小さな島でも、カリブ海のキューバの隣の島国、ドミニカとハイチのように、まったく別な世界に区切られている場合もある。

●ドミニカとハイチ

バックパッカーで20代の頃訪れたこの島の経験は、とても印象的なものであった。ドミニカ共和国は、こぎれいなカリブ海の居心地の良い静かな国、人々も物静かで穏やかだった。高級リゾートホテルもたくさんあり、ダウンタウンではバチャータやメレンゲといったラテン音楽が大音量で流れていて、まさにカリブの島。日が傾きかけてくると、あちこちのバーでは人々が踊り、楽しそうな印象の街だった。しかし単独のバックパッカーだと、何となく街自体に馴染むことが難しく感じられた。何か距離を感じるのだ。何となくの居心地の悪さを直感して、1日だけドミニカに滞在した後、翌朝同じ島の向こう側のハイチに入国した。そこから先は強烈な体験の連続だった。まず、飛行機が着陸して、入国審査で何故ハイチに来たのかをしつこく聞かれる。

観光だと言ってもまったく信用していない。ハイチアンアートについても語っても無理で、挙句の果てに入国させるから賄賂をくれというので、めちゃくちゃ激怒した素振りを見せたら慌てて通過させてくれた。実は、こういうことはいろんな国でよくあることなのだ。幸いにもダウンタウンに向かうタクシーの運転手は良い人で、いろいろ教えてくれたが、ハイチの平均収入は隣のドミニカの約6分の1で、世界でも最貧国の1つなのである。まず、よほどの理由がないとこの国を訪れる人はいない。観光客がほとんどいないので、世界中にある悪名高いぼったくりタクシーもほとんどないようなのである。

ハイチの公用語はクレオール語というフランス語の方言のような感じ。昨日までいたお隣のドミニカの公用語がスペイン語だったことを考えると、この島の国境線の意味合いの根の深さを感じる。ちなみにこの島の名前はスペイン島という。タクシーがダウンタウンに到着して一歩外に出ると何とも言えない古びた遊園地のような街だった。廃墟のようで廃墟でなく現役感があるというか。街中に新しい建築が皆無なのである。

しかし、植民地時代だった名残のようにこぎれいななフレンチコロニアル様式の建築がたくさんあって、目の保養になる。パステルカラーの建築が延々と続く。例えでいえば、ニューオリンズのバーボンストリートで、地面が土の西部劇のような感じといえば伝わるだろうか。

街中で、とにかくホテルを探し、素敵なホテルを見つけたものの、おそらく宿泊客が自分1人だと寂しい確信をする。でも、この選んだホテルは最高に自分好みの雰囲気を醸し出していた。手すり1つとっても、細かい造作が丁寧に施されている。植民地時代は華やかだったのだろうなという残像が建築自体に刷り込まれている。荷物を部屋に放り投げて、絶対に傾いているであろう床のテラスで、ハイチアンコーヒーを飲んでいると不思議とこの土地と自分の相性が良さそうな気がしてきた。

部屋の前のこのテラスは貸し切りで、大きな夕日とココナッツの逆光とカリブ海のキラキラが見える。もしかしたら、このホテルで一番眺めのよい部屋にしてくれたような気もする。アメリカにいた頃からコクのあるハイチコーヒーが大好きでこれが安く飲めるのは本当に嬉しい。そういえば新宿西口にもハイチコーヒーとカレーのお店があってよく通っていたけど今もあるのかな? まあ、ハイチコーヒーとシガーで大満足し、ビーサンと短パンにチェンジして1人街に繰り出すことにした。

海岸を歩いていると、1人の青年が声をかけてきた。黒人の高校生だった。幸いにも彼が英語を勉強中だったようで、今後は片言フランス語をしゃべらなくてもよさそうであった。これは先行きついていそうだ。いきなりカラテを教えてくれと言われた。5分だけ柔道を教えて、代わりにそのまま街へ案内してもらうことになった。今ここにいる海岸で偉い人の死体が今朝上がったことも教えてもらった。殺人事件は身近なところでよくあるらしい。そんな話をしながらこの街の中心に移動する。日本の田舎のように街中のほとんどの人がみな知り合い同志であり、短い距離でも移動するのにその都度の挨拶で時間がかかる。現物の東洋人を始めて見るハイチ人も多く、彼らの認識ではブルース・リーとジャッキー・チェンしか脳内には存在しないようで、とにかくカラテをやってくれと、何百回言われたか分からない(笑)。映画が影響力のある娯楽だと分かった。電気がない家も多いからテレビも少ないのである。とにかく、そこら中の人が声をかけてくる。

たとえ世界最貧国であっても、人々の表情は豊かで距離も近い。真っ白な歯を見せて笑っている人が多い。僕は、幸福度でいえばハイチは最貧ではないような気がする。

●ハイチでの思い出

結局、この国には5日間ほど滞在した。本当はもっと滞在したかったが、アメリカでの仕事があるのでやむを得ない。現地での友人がたくさんできたのがとにかく収穫であった。

ボロボロの扇風機がうるさくぶんぶん回っている体育館のような古びた映画館は、ハイチ人の若者でほぼ満員。そんなひどい映画館でくだらないしょうもないアクション映画を鑑賞中に、突如フィルムが燃え出して映画館に煙が充満して、上映中止になり全員が外に強制避難になったりとか、友人がどこかから馬を借りてジャングルの中を探検し、秘密の滝の飛込みスポットに連れて行ってもらって、決死の滝つぼダイビングをしたこと。深夜の密林で太鼓の音に引き寄せられて現地人だけのブードゥー教の儀式に参加できたものの、女性に悪魔が憑依してクライマックスになった時にすさまじいスコールで解散になったこととか…貴重な体験のオンパレードであった。とにかく、かけがえのない良い経験ができた。結局、自分の専属ガイドになった青年も喜んでいたようだ。

自分がアメリカに戻る最後の日に、その青年が自分の家族を紹介したいから家に来てくれと言われた。翌朝訪ねてみるとそこには家というものはなく、砂埃舞う空き地に張った1つのテントだった。中から出てきたのは母親と妹が2人。でも、皆がニコニコしているのだ。こういう笑顔は久しぶりに見た。いろんな事情があるのだろう。でも、彼が普通に学校に通えるということにこの国の良さを感じた。学校をしっかりさせるということはもしかしたら一番大事なのかもしれない。未来を考えれば当然だ。そして、彼の家族がみな素晴らしい笑顔だったのに驚いた。

ボロボロの茶色い色あせたテントの中でお茶を1杯だけご馳走になった。でも、なんだか居心地のよい時間だった。おそらく彼は、1日過ごした出来事を詳細に家族全員に話していたのだろう。それがすぐに分かった。彼と彼の家族には気持ち的になにか人間同士として通じるものを感じられた。人の人生って経済的なものよりももっと重要なものがあると確信した瞬間でもあった。

そんなハイチで、2010年空前の大地震が起きた。瞬時に31万人以上の人が亡くなった。地球史上最悪に近い災害でもある。自分の記憶にある街はもうすべてが破壊された。もちろん、僕も寄付をした。ただ、寄付では人の命は戻ってこない。街もまだ悲惨な状況のままなのだ。青年にも連絡が取れないまま10年が過ぎた。多分、もう無理だろう。大災害というのは人間が頑張っても太刀打ちできないものである。逆に言えば、人間はちゃんと生きれるときに一生懸命生きないといけないのである。

明日はないかもしれないなら、今日をしっかり生きないと後悔する。

 
2020年4月1日更新


▲カリブ海イスパニョーラ島の西部がハイチ、東部がドミニカ共和国



▲ハイチの床の傾いたテラスでのハイチコーヒー。これがとてもおいしかった。(クリックで拡大)




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