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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その19:忘れられない授業

澄川伸一さんの新連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



新型コロナで世の中大変な状況で、なにを書くべきか散々迷いましたが、5月には落ち着いていることを願い、あえて通常の雑感コラムにしました。不安は消せないけれども、平常心の各個人の努力は必要。とにかくすべての価値観がひっくり返っている。こんな状況って初めてかもしれない。まず自分の命を守るしかないのが現実だろう。飛行機の安全確認マニュアルと同じで、まず自分が酸素マスクを装着しなければ他者を助けることも不可能なのである。1か月後はどうなっているのだろうか?

で本題です。「忘れられない授業の話」。

●「師」と巡り合うこと

人生の時間というものが現実的に限られているだけに、誰だって自分が設定した目標に向かって最短距離で飛躍したいはず。楽しい時間が長いほうがいいのは決まっている。

そして、あるレベルの技術を習得するには、「師」という存在はやはりとてつもなく大きい。完全な独学はやっぱり効率が悪い。ライバルという存在もメリットとデメリットの両輪がある。人生の中でいかに素晴らしい「師」と巡り合えることができるかどうかというのはとても大事なのである。もちろん人と人の関係なので相性とかタイミングの問題も大きい。ただ、自分を飛躍させてくれる「師」との出会い自体、それは自分自身の確率的な「運」の話になるのかもしれない。そもそも自分は、おみくじでもビンゴでもほぼ最低ラインのくじ運の持ち主なのであるが。

生きている時間の中で、誰にでもその偶然巡り合うことができた「師」から、一生記憶に残る授業というものがあるかもしれない。海岸で両手ですくった砂の中に偶然見つけた砂金の一粒のように、人生をその後も照らし続けるような素敵な授業というのがほんの数十分、存在しているかもしれない。

多分、気が付かないだけで誰にでもあるはずだ。名ばかりの先生が多い中でも、目を凝らしてみれば素晴らしい先生というのは現実に存在するし、素晴らしい授業というものも同時に存在する。その限定的な時間というものは個人のその後の人生にとてつもなく良い影響を及ぼすのである。

自分自身が、大学時代から進学予備校の教師のアルバイトをしていたこともあって、教える立場と教わる立場という両極の軸を常に意識した人生を送っている。これは現在進行形で今もそうなのである。人間という生き物は残念ながら、歳をとるほど教えてもらう機会というものが減っていくのだが、これは無理やりにでも増やしていかないといけないと思っている。プライドを捨てて、歳下から教えてもらうことで得られることは実はとても多い。同時にそれは自分が誰かを教える時にとても力になるのである。

●「熱量」は伝わる

自分自身の人生を振り返ってみて、今でも一番記憶に残っているのが、アメリカ駐在時に週1回学んでいた、英語の個人レッスンでのある日の出来事だ。

当時自分は26歳だったと思う。当時は海外赴任者を対象に英語スキルも会社がバックアップしてくれる恵まれた環境であった。教師は自分の年齢に近いイタリア系アメリカ人女性の先生だった。その日は、いつものようにテキストブックでの文法とか発音とかのレッスンではなく、なぜだか、突然今日の朝刊のクロスワードパズルをやることになったのだ。

おそらく先生もちょっとした軽い余興のつもりだったのだと思う。日本人にとってクロスワードを英語だけでやるというのは意外と難しいものである。ある段階までは順調にマスが埋まっていったのだが、後半3分の1くらいになってくるとなかなか答えが出てこない。だんだんとスピードがなくなり無言の沈黙が続く。そして、いつの間にか授業時間もとっくにオーバーして外はすっかり暗くなっている。教室もだんだんと人がいなくなり静かになっていくと同時に、妙に緊張感が増幅する。だが、先生は授業を終える気配すらまったくない。

どうやら、この先生は今日の授業はこれが完成するまで僕を帰さないようだと察した。その予感は現実であった。そこからの時間があり得ないくらいに苦痛で長く感じた。蛍光灯に照らされた明るい教室と壁の掛け時計の存在が今でも目に焼き付いている。自分も必死で考え、知っている限りの単語を絞り出すように伝えた。今でも鮮明にどうやら身体に刻まれている数10分の記憶なのである。

本当に必死に考えて絞り出した。そして、小一時間オーバーしてクロスワードがなんとか完成した。その時の達成感は半端なく大きいものだった。ハイタッチした。多分、自分以上に先生が嬉しかったのではないだろうか。この授業での記憶がいつまでも自分の中では鮮明であって、何か新しいことにチャレンジする度にこの経験を思い出すのである。

何かをとにかくやり遂げるということが、その後の人生にとてつもない「自信」になることをこの日の授業で学んだ。この先生とこの授業には本当に感謝している。

これは日本にいた時にはまったく学べなかった部分であり、アメリカという国の素晴らしい一面なのかなとも感じた。そういう風にとらえてみれば、アメリカ人って皆、自分の意見を言う時は自信を持っているように感じられる。政治家のスピーチでも一目瞭然ではないだろうか。この授業以降、自分自身の中で何かが変わったのは間違いない。そしてその「自信」は確実に自分のデザインの結果として変化が起きたのである。もちろんいい方向に吹っ切れてきたのだ。「CONFIDENCE」の威力は大きい。

今、打楽器のドラムのレッスンを受けている。ゼロスタートだったのだが、なんと早いもので、もう2年経ってしまった。何となく、アメリカでのあの授業に似たような状況が再現されているような気がして実は楽しいのである。それは、仕事を超えた先生の熱量が感じられるからなのだ。

そういう「師」とのめぐり逢いというものは本当に大事にしたいと思う。人生って成長することの喜びを満喫することが最高なのではないかと。そして、自分もデザインに関してそういう教師であっていたいと思うのだ。エントロピーの法則であって、「熱量」は伝わるのである。


 
2020年3月1日更新


▲出番を待ってスタンバイしている、次の世代の卓球台。世の中の状況が早く落ち着くことを祈ります。(クリックで拡大)




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