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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その16:無限大に働くということ

澄川伸一さんの新連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

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[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



●個性と革新

ここ数年間、持続可能な社会のための工夫の必要性がいろんなところで叫ばれている。とても共感する。単発の打ち上げ花火でなく、永続性のある豊かさが本当に必要だと感じる。

それは個人の内面でもまったく同じことが必要とされている。要はどれだけ仕事のアウトプットとしての持続力があるかということなのだ。とくにデザインという仕事は、常に自分らしさを保ちながらも新しい感覚を発信していかなければ時代から取り残されてしまう。一発屋で消えていったデザイナーの多いこと多いこと。それでは人々の記憶からもあっという間に消されてしまうのである。

自分のブレないスタイルを確立させながら、時代と環境に合わせて常に革新であり続けなければならない。これが仕事であり、本人にとっての喜びでなければまずは続かない。いわゆるレジェンドと呼ばれる巨匠たちは常に革新の連続性、持続性に挑戦し続けてレジェンドになっているのである。伝統産業もしかりで、常に革新し続けているから伝統としてその産地に生き残っている。ピカソやイームズやマイルスのように、どんな時代にも必ず軸足を地中に杭打ってフルスイングする表現がいかに凄いことなのかといつも感じるし、自分もそうありたいものだ。

●人生はマラソンではなく

人生をよくマラソンに例える人がいるが、あれは実際にマラソンレースを走ったことがない人のセリフだ。レースの終盤、あれほど辛い時間帯はない。とにかく、どこかが強烈に痛むか、心臓や横隔膜の限界であったり脱水症状であったり、はやくゴールしてこの苦痛から解放されて終えたいという気持ちしかない。これは速い人も遅い人もまったく同じである。40キロ過ぎの残りの2.195キロなど、普段はなんでもない距離がレース終盤になればあり得ないほど長く感じるし、最大限辛いのである。

人生が後半でこんなに苦しくて耐えなければならないのならば嫌だ。だんだんと楽になっていくのであれば、もうちょっと頑張ってみようと思うのが理想ではないだろうか。せめて、折り返し地点で辛くないうちにやめるべきであろう。例えるなら、もう少し人生後半で希望が持てるような例えでないと生きていくのが辛くなってしまうのである。終了を楽しみにするような時間の過ごし方は何となくさみしすぎる。

もし、僕が人生をランニングに例えるのであればそれは、インターバル走の繰り返し練習だろう。1キロくらいの短い距離を最大の力で走り切る。最後の200mは限界値まで追い込んでバクバクで走り切る。そして、ゆるゆるのジョグで心拍を安定させて、また次の1キロダッシュの繰り返しだ。

要は、ゆるゆるジョグがあるからこそ、全力ダッシュの繰り返しが可能なわけである。ゆるゆるジョグは歩いてもいいことにしよう。でも座り込んではだめだ。超スローでも進み続けないと。想定外の事故や病気もあるだろう。でも気持ちだけは前進し続けていないとダメだ。そして1キロダッシュも1日の中では無限大にできるわけではなく、限られた回数しかできないということ。

人生において、この1キロダッシュを何回できるか? それには工夫が必要だ。僕は人生をインターバルでそういう風に考えている。そして、それぞれのダッシュの中身がそれぞれ個性を持って各人の人生を彩る。誰もがその人生の中で、ロケット噴射を数回行っているはずなのだ。受験勉強やインターハイとか学生の頃からそういうダッシュは実は始まっているのだ。走るべき時に走らないと結局は自分の人生を後悔させることになる。転んでも、走ったやつは走らなかったやつよりよっぽどえらい。でも、大事なのは、次また走れるチャンスがあるということなのだ。ボクシングだって、次のラウンドというものが用意されているではないか。チャンスがあるからやっていられるものだ。

●フリーランスは無限大に働く

会社員生活よりもフリーランスでの時間が長くなると、定年という概念は消滅する。無限大に働くつもりでいる人がほとんどではないだろうか。年齢という概念がほとんどなくなるのは、すべて自分で決断できるという自営業の最大のメリットではないかと思うのである。逆に考えれば60歳になったとたんにまだ働けるのに「もう終了です」と宣告されるというのも自分自身が雇われの身であったという現実を直視する瞬間だと思う。

ではフリーランスにとって、永続性のある仕事環境を実現するにはどうしたらよいものだろうか? それには、フィジカル面とメンタル面の両面でアプローチしていくしかないのである。何度も書いているのだが、メンタル面で修行僧のようにクリーンな状態で感覚を研ぎ澄ますこと。そして可能な限り、首や肩のコリ、腰痛などをリリースさせて長時間のデスクワークに耐えられる身体能力を維持すること。それと、頻繁な出張に耐えられる体力確保と、現場でのコミュニケーションとしてのお酒が飲めても酔わないということなど。 まあ、この中で、一番重要なのは最後のお酒の件なのかもしれないが(笑)。胃腸が丈夫であるというのが、生き物本来の最大の強みなのかもしれない。

 
2019年12月1日更新



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