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コラム

澄川伸一の「デザイン道場」

その8:「プロのインダストリアルデザイナー」には何が必要?(後半

澄川伸一さんの連載コラム「デザイン道場」では、
プロダクトデザイナー澄川さんが日々思うこと、感じたこと、見たことを語っていただきます。

イラスト
[プロフィール]
澄川伸一(SHINICHI SUMIKAWA):プロダクトデザイナー。大阪芸術大学教授。ソニーデザインセンター、ソニーアメリカデザインセンター勤務後に独立。1992年より澄川伸一デザイン事務所代表、現在に至る。3D CADと3Dプリンタをフル活用した有機的機能的曲面設計を得意とする。2016年はリオオリンピック公式卓球台をデザインし、世界中で話題となる。医療機器から子供の遊具、伝統工芸品まで幅広い経験値がある。グッドデザイン賞審査員を13年間歴任。2018年ドイツIF賞など受賞歴多数。現在のメインの趣味は長距離走(フルマラソン3時間21分、富士登山競争4時間27分)。



デザイナーには何が必要か? このテーマの後半の後半はセンスの話。センスの話はとてもデリケートなテーマである。表現する職業を選んだ場合は最終的に食っていけるかどうかの死活問題に直結するからだ。

●センスとは価値ある「特異性」

例えば、小さい頃からピアノ教室に通って、理想の音大に進んだとして、実際に「演奏家」として「演奏」だけで食べていけるのはほんの限られた人である。副業で「音楽教室の先生」というのがほとんどだと思う。

現在、ショパンの譜面は誰もが容易に入手できるが、曲としてただそのまま演奏することはかなりの人が可能である。しかし、その演奏自体の、内面的表現の個性差は現実的に表れてくる。譜面とは、あくまでもガイドラインであって、いろんな人間が演奏することによって独自の色と強弱が付けられる。厳密にいえば、同一人物が午前中に数回弾いてもまったく同じ演奏というのは存在しない。その日の気分や社会情勢に技術や体力、昨晩の夕食やお酒の内容まで含めた表現力の個体差がセンスの差として表現されてしまう。

そのセンスの特異性が社会に対して成功と出るか失敗と出るかは誰も100%予言することは不可能だ。仮に受け入れられれば、成功した事例として自信につながる。小さな成功でもそれは、次のトライへつなげることができる。ゴッホの絵のように作者が亡くなった後にそれが評価されるというケースももちろんあるが、できれば自分の眼で自信の座標を確認できるように現在進行形で道を歩めるのが理想だろう。

価値のある「特異性」。表現する職業でこれほど大事なことはない。


●受け取る側に憑依すること

では自分の「特異性」をどう表現していくか? 見つけていくか? ということでは誰もが悩むことだと思う。日本では特に出る釘は撃たれる風潮にあるから。 誤字ではない(笑)。

でもそれを恐れるあまり、批判されにくいように地味に設定しても魅力がないという扱いになってしまう。実質的に魅力がないのなら、デザインとしての対価もないに等しい。世の中には、もう十分すぎるほどデザインされたものが存在しているからだ。姿やスタイルを真似るのは知的財産の侵害なので、もちろんNGだ。しかし、商品の魅力や購買動機に「センス」がとてつもなく影響を及ぼしているのは間違いない。それは、鳥の求愛の動きやクジャクの羽の存在理由と根源的には同じではないだろうか。

本質的な「魅力」で他者をどう引き付けるかで勝負が決まる。商品としては例えば、クルマのデザインなどその代表的なものではないだろうか。もし、価格が同じで性能も同一であれば不細工なクルマにあえて乗ろうとは誰も思わない。遊園地のカートでどの色、形を選ぼうかという感情と近いものだ。燃費やサイズ感が同じであったとしても、雰囲気の違う自分の好みのクルマであれば乗ってみようかなという気にもなる。

誰だって、人生の中で、できるだけ心地よい時間を過ごしたい。モノは、その重要な演出小道具であり装置である。だからその時代にあった自分の好みのセンスというのはその人の人生に影響するといっても言い過ぎではないだろう。

問題はそれをどう捉えるか? 作り出すか? 作る側と受け取る側との両方の視点を同時に持つことがとても大事だ。デザイナーは受け取る側に憑依できなくてはいけない。心の底の部分にある感覚をどう引き出していくか。ヒント、はその人その人の過去の蓄積の中に隠されているものだ。 自分だけのエゴでは成立しない。

●土台の構築と革新の連続

センスには、受け入れられる時間の短命なものもあれば長寿命のものもある。業種によってもそこには「時間差」が発生する。もちろん、意図的な「流行」という手法もある。しかし、本質的には変えること自体には、意味は感じられない。ヨーロッパのクルマのように、何年経とうがビジュアル的にもアイデンティティーが継続されていることはとても信頼感につながると思う。

見れば、すぐに判別できる安心感という感覚、でもどこか新しい。そういった良い意味での土台としての頑固さはモノづくりにおいてとても重要だと感じる。しっかりと定着された頑固の中の斬新さという部分。日本の伝統産業なども、同じような感覚を感じる。伝統とは実は歴史があるものほど、土台が構築された上での革新の連続だと気付かされる。

デザイナーには、その定着されたバランスのとり方と変化の塩梅が大事だ。マイルス・デイビスが時代の10歩先をいつも歩いていて、新曲を初めて聴いた時、まだ身体になじまない未知の音楽の戸惑いのようなものを感じるが、数回聴くにしたがって極めてかっこいい新しい流れのようなものとして自分の中に定着してくる感覚とか。そしてそれが、その人の過去の実績として繰り返されると不動の巨匠の領域に入っていくのだと思う。それには20年以上はかかるだろう。日本のミュージシャンでいえば、ユーミンだったりサザンだったり。椎名林檎とかもそうだろう。不安定な安定感の極みというべきか。

●センスの変化率

話をデザインに戻せば、クライアントがデザイナーに依頼をする場合、事前に今までどういった傾向のデザインを創ってきた人物なのだろうかとWeb調査などをするだろう。

誰だって、未知なものにお金を払うのは怖いはず。その時クライアントに、自分自身がビジネスとして成立できるセンスを継続的に持ち合わせていることを伝えられれば、今後もデザインの依頼は続くだろう。それがないのであれば、デザイナーとしての依頼は減少し、やがて消えていくだろう。

現在、自分が作ってきたセンスの変化率とは未来に対する保証金のようなものだと思う。単体のデザインの評価で判断するのは危険である。複数の過去作品の変化率の深読みが肝だろう。自分的な理想はマイルスのように常に時代に呼応する表現を維持し、常にマイルスであり続けられるようなデザイナー像というか。 なんだか、ジャズ評論みたいになってきて収集つかない(笑)。とにかく、人一倍アンテナの感度を上げること。異世代、異業種と接点があったほうがこういった時代の変化に気づきやすいものだ。

次回は、デザイナーの職業病でもある「腰痛対策」について書いてみようと思う。



2019年4月1日更新




▲ショパン「ノクターン」の譜面。音符の解釈、各自の弾き方でここに記されている音楽は大きく変わる。(クリックで拡大)



▲ジャズトランペッター、マイルス・デイビスの1970年のアルバム「ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)」。16ビートをベースにしたフュージョンの先駆け的アルバムと言われている。ジャケットアートもまた革新的だ。(クリックで拡大)


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