pdweb
無題ドキュメント スペシャル
インタビュー
コラム
レビュー
事例
テクニック
ニュース

無題ドキュメント データ/リンク
編集後記
お問い合わせ

旧pdweb

ProCameraman.jp

ご利用について
広告掲載のご案内
プライバシーについて
会社概要
コラム

秋田道夫のプロダクトデザイン温故知新 第7回

image
コンピュータはモダンデザインの夢を見た
アメリカデザイン(最終回)


デザインの将来に向けて、過去から今に残っているものを探るのも悪くない。
このコラムではモノが大量生産されるようになった草創期から振り返り、
デザインとモノの変遷を捉え直していきたい。
過去には未来へ向けた種子がまだ隠されているかもしれない。


[
プロフィール]
秋田道夫:1953年大阪生まれ 1977年愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業。
ケンウッド・ソニーを経て1988年に独立。フリーランスのプロダクトデザイナーとして現在に至る。
http://www.michioakita.jp/

※本コラムは雑誌「Product Design WORLD」(2005年ワークスコーポレーション刊)の連載から、
版元をはじめ関係各位の許諾を得て、pdweb用に再掲載しました。原則的に加筆・修正は行っていません。


●SF映画が見せてくれた夢

かつて渋谷の駅前には、屋上にある「プラネタリウム」のドームが特徴の、東急文化会館という大きな商業ビルが建っていました。わたしが就職して渋谷にある会社に勤めだした時には、いつも映画の大きな看板がかかっていて、ほとんどビルの全容を確かめることもなく「あー、今こういう映画がやっているのか」と思って前を通るばかりでした。その30年後、老朽化のために取り壊されることになり、はじめてその建築が、日本を代表する近代モダン建築家の坂倉準三(さかくらじゅんぞう、1904~1969年)の手によるものだと知ったのです。

ある夏の日、会社から帰ろうかと思っていたら、デザイン室の同僚が「秋田君、これから時間があるようだったら映画を見に行かない?セットのデザインをシド・ミードが手掛けたらしいんだ」。そう“デザイナー必見の映画”という同僚の誘い文句で、わたしたち男2人は夕刻の東急文化会館に向かったのです。チケット売り場の上にある看板には『ブレードランナー』(1982年)と書かれていました。

わたしのプロダクトデザイナーとしての歩みは、まさしくアメリカで制作された「SF映画」とともにありました。高校に入学した時、前年の映画観賞会が『2001年宇宙の旅』(1968年)だったと聞き、とても悔しかったのを覚えています。その後会社に勤めだした年に上映されたのが『スター・ウォーズ』(1977年)でした。昨年完結したスター・ウォーズの歴史は、まったくわたしのプロデザイナーの歴史と重なり合っているのです(ちょっとおおげさかな)。

ブレードランナーのセットや登場する乗り物のデザインを担当したシド・ミード(Sydney.Jay Mead、1933年~)は、ロサンゼルスにあるアートセンターが生んだ最大のスターデザイナーであり、1960年代に彼がフォードのために描いた「未来の世界」のスケッチは、長らくプロダクトデザイナーのバイブルとされていました。そこに登場する未来のクルマや船舶、そして建築は、先進的であり説得力に富んでいて、まさに彼は「豊かな21世紀」を、みんなが見える形にしてくれたのです。
それは、単に彼の描き出すデザインが「カッコいい」だけでなく、卓越した「描画力」と「描画方法」によるものであり、世界中のプロダクトデザイナーがそのスケッチを真似たのです。

わたし自身は、同時代的に彼を知らないし、後年彼の絵を見た時にはすでに「バウハウス」や「イタリアンデザイン」に傾倒していて、彼のスタイリッシュなスケッチには実はピンときていませんでした。それに、あんなにうまくは描けないとはじめから諦めていたのです。

そのシド・ミードも、1970年代アメリカの自動車産業の不振とともに世間から忘れ去られた感があったのですが、蘇るきっかけとなったのが、『ブレードランナー』だったのです。そこに描かれた世界は「希望に満ちた未来」ではなくて「公害と犯罪に満ちた悲観的な未来の物語」であり、登場する乗り物も建築も1960年代に描いた「ハイライト(光によってもっとも強く輝いた部分)」がきれいに浮き出た絵葉書のような状態でなく、すすけた汚れたものだったのはなんとも皮肉な話です。

●リンゴ革命

『スター・ウォーズ』の上映と同年の1977年、その後のプロダクトデザインの世界を変えた画期的な商品を生み出すアップルコンピュータが産声を上げました。
現在、iPodやG5など現代デザインの象徴ともいえるアップルですが、その初期の製品はいささか「野暮ったい」デザインでした。当時すでに大型コンピュータで有名なIBMや、計測器の世界的なメーカー、ヒューレット・パッカードで見られた頑丈で厚肉の樹脂性ケースは「中身が壊れても外側は壊れない」ような頑強なデザインですが、その「アメリカデザイン」をそのまま地でいったようなおおらかなデザインを踏襲していました。

まあ、今になって見ると初期のMacintosh 128kやPlusは、愛嬌があってなかなかに捨てがたい魅力があり好きではあるのですが、いかんせん野暮ったさは拭い去れません。ビジネス的には成功を収めた若きカリスマ経営者スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955~2011年)は、彼自身グラフィックや文字のデザインに傾倒したことがあり、そのセンスからしてアメリカ人のデザイナーではダメだと思ったかどうかはわかりませんが、次世代のデザインを託す人物として白羽の矢を立てたのが、ドイツ人プロダクトデザイナーのハートムート・エスリンガー(Hartmut Esslinger、1944年~)と彼の主宰するフロッグデザイン(Flog Design)だったのです。

ドイツ生まれのエスリンガーは、1969年からWEGAという、後にソニーに買収されることになるテレビメーカーのデザインを手掛けていて、そのデザインセンスには定評がありました。ソニーのプロダクトを手掛けたこともあります(彼はおそろしく仕事が早かったそうで、来日してあっという間に図面を仕上げ、数日で帰っていったという話を聞いたことがあります)。


●白雪姫が蘇らせたひげの王子様

ハートムート・エスリンガーがアップルのデザインを担当するに当たり、彼はプロダクト全体に共通するアイデンティティを会社全体として共有するために、「スノーホワイト(Schneewittchen=白雪姫)」というデザイン言語を提唱しました。

スノーホワイト? 白雪姫? そのデザイン言語でデザインされたといわれる製品を見ても、「スノーホワイト」というほど真っ白でもないし、どういう意味なのか、わたしは長らく頭を悩ませておりました。それがある時、ドイツのデザイン学校ウルム造型大学の作品集を見ていて「そうか」と気がついたのです。

バウハウスの意志を継ぎ、戦後開校されたウルム造型大学で、学校の課題や研究を発表する展示会が開かれた時、ブラウンのためにデザインされたシンプルなステレオのプロトタイプがありました。その白くて優雅なたたずまいは大きな反響を巻き起こし、「白雪姫のひつぎ」とニックネームがついたそうです。そのエピソードを読んだ時、エスリンガーが「スノーホワイト」に込めた言葉の真意が、わたしの中で氷解したのです。

バウハウスを生んだドイツ人たるエスリンガーが、その母国で培ったプロダクトデザインの思想を、次の時代に語り継ぐために、「21世紀の申し子」になるだろうパーソナルコンピュータに「植え付けた」のです。Macintosh SEの正面にある、フロッピーディスク挿入口上の一見意味のない横方向の溝は、まさしく「白雪姫のひつぎ」のスピーカーグリルへのリスペクトに他なりません。

ドイツの60年におよぶモダンデザインの流れは、その時、海を渡りアメリカに引き継がれたのです。しかしながら、素晴らしいプロダクトを生んだエスリンガーとアップルコンピュータとの蜜月はあっけなく幕を閉じました。アメリカのデザインの流れを根底から変えたといってもいいその活動は、傍目にはまったく信じられないのですが、たった1年間だけだったのです。

数年後、創業した会社を追われたスティーブ・ジョブズとエスリンガーは再び手を組み、パーソナルコンピュータ史上もっとも素晴らしいデザインであり、製品的には孤高だった「NeXT」を生み出しました。


●リンゴの種が残したもの

エスリンガーとフロッグデザインの評価は、アップルでの成功により世界的に高まり、他社のコンピュータデザインをはじめ多くのクライアントを獲得し、1980年代後半には、まさに世界のデザインを一手に掌握したかのような印象がありました。

エスリンガーとともに、1980年代から現在に至るアメリカプロダクトデザインの重要なキーパーソンとして浮かぶもう1人の人物がいます。それがイギリス人プロダクトデザイナー、ビル・モグリッジ(Bill Moggridge、1943~2012年)です。彼は、奇遇ですがエスリンガーと同じ1969年からデザイン活動を始めています。

彼は風の流れをそのまま形に活かした温風ヒーターのデザインで一躍世界の注目を浴びました。1979年には活動の拠点をサンフランシスコに移し、ID TWOを設立。1991年には、現在世界的にもっとも成功を収めているデザイン事務所といえるアイディオ(IDEO)に組織を拡大しました。

わたしは、ビル・モグリッジを語る時、プロダクトデザイナーという側面だけで捉えることはできません。まだ黎明期の1980年代の半ば、パーソナルコンピュータが普及しだして間もない頃から、彼は「GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)」の重要性をデザイナーの立場から説いていたのです。アップルが作り上げた、今では当たり前に思える「アイコン」や「ゴミ箱」という視覚化された直感的でわかりやすい操作方法ですが、それ以前の暗号がひしめくようなコンピュータをみんなが使える道具にしたのは、GUIという概念でしょう。

プロダクトデザイナーがただフォルムの斬新さや他社との差別化にきゅうきゅうとする中、「その世界全体」を視野に入れて提言する勇気と忍耐力は、スタンフォードで長年教育に携わりながら経営にも手腕を発揮しているビル・モグリッジならではといえるでしょう。わたしは1986年に彼に会ったのですが、見るからに温厚で大柄なひげをたくわえた紳士的なその姿は、スーツを着たサンタクロースのようでした。


   

●セマンティックショック

わたしは、その国のデザイン教育とデザインの流れには密接な関係があると思っています。アメリカにおいてのデザイン教育を考える時、2つの特徴ある学校が浮かびます。

1つ目はシド・ミードのところで前述した、自動車デザインの優秀なデザイナーをあまた排出し、戦後多くの日本人留学生も学んだ「アートセンター」。そして2つ目は、これからお話しする大学院大学「クランブルック美術アカデミー(Cranbrook Academy of Art)」です。

クランブルックは、1932年ミシガン州デトロイト郊外に美術の教育機関として建築・絵画・彫刻科が設立され、1939年に家具デザインで有名なチャールズ・イームズによってデザイン科が付け加えられました。

アートセンターが「使える即戦力デザイナーの育成機関」として大きな実績を上げているのに対して、大学で実技を習得した人たちが進学するクランブルックでは「デザインの本質を考える」部分を重視し、カリキュラムも学生自身が作ったものを学校がサポートする、自主性を重んじた形式をとっています。現実にはどちらの学校も海外からの留学生を含め、学生の多くは企業に属した経験を持つ人たちで、スキルを新たに習得するのが目的であればアートセンター、実技よりもデザイン全体の概念を習得したいと思えばクランブルックを選択するすみ分けがされています。

そのクランブルックで1980年代の後半、世間がまだまだ「ポストモダンデザイン」の余韻を引きずる中から、1人の天才プロダクトデザイナーが誕生しました。その青年の名はデビッド・グレシャム(D.M.Gresham)。クランブリック美術アカデミーを1986年に出たばかりの彼は、一夜にして時代の寵児になりました。

1989年、ドイツを皮切りに世界中を巡回した「世界インダストリアルデザイン展」カタログの表紙は、グレシャムが友人2人と設立したDesign Logicによるパーソナルコンピュータのデザインモデルでした。

彼が提案したそのコンピュータは、サイズと奥行きの異なる何冊かの本が横に並べられたような形状をしていました。スイッチのある「本」、インジケーターの並んだ「本」、外部記憶装置の入っている「本」。それらの集積が「コンピュータ」であると彼らは定義したのです。

それまでは、ただ「四角い箱」のバリエーションの世界にすぎなかったコンピュータのデザインに、その箱が果たす「機能」そのものを視覚化した感覚の斬新さと形としての完成度の高さに、わたしはひと目ですっかり虜になってしまいました。しかも、そのパソコン1点でも十分な衝撃でしたが、彼がデザインしたプロダクトは発表されたものすべて(6点ほどですが)が、一見アバンギャルド(前衛的)でありながらしっかりした造型力と細密で完成度の高いディテール(細部)を持ち、そして哲学的ともいえるデザインコンセプトを余すことなく「見える形」に置き換える翻訳力を持っていました。

それはわたしが学生時代、イタリアを代表するデザイナー、マリオ・ベリーニが手掛けたオリベッティの電子計算機の製品群を見た時に感じたものに匹敵するものでした。

彼のデザインは、クランブルック美術アカデミーで長年教授を努めるマイケル・マッコィ(Michel Macoy)が提唱する「セマンティック(semantic)」の概念を、もっとも端的に具現化したものでした。セマンティックを辞書で引いても「意味の、語彙の」といった難しい記号論で用いられる専門用語としか知ることはできませんが、わたしはその言葉の概念を「モノの形に意味を持たせる造形」と理解しています。

たとえば、通常オーディオアンプの「音量」は、単に丸いつまみやスライド、ボタンで表現しますが、セマンティックとして捉えた場合、アンプの目的である「音楽を再生すること」を形に表現するため、そこに音楽にまつわる記号「音符」や楽器の形を持ち込んだり、音の大きさを音符の大小で表現したりする方法を用いたりするのです。つまり「音がそこから出ていなくても音楽を感じさせる形」をそこに表現する造形感覚といえます。

こういったセマンティックというデザイン言語が生まれた背景には、やはりパソコンの登場が大きく関わっています。

今日までデザインは、バウハウスの時代から巨匠と呼ばれる建築家、デザイナーたちによって「機能と形の脈絡」を手がかりにその手法を説明してきました。「形は機能に従う」「機能的な製品は同時に形も美しい」そういった足かせでもありよりどころでもあった内部の「機械部品」がどんどん小さくなり、外形と内側に隙間やズレが生じてきました。

当時すでに、オーディオの世界でも「表面」と「内部部品」の乖離はどんどん広がっていましたが、「つまみ」や「表示」によって、まだその内外のコミュニケーションを図る術がありました。しかし、パーソナルコンピュータの登場によって「形のよりどころたる機能」が、その外観をまったく形に表現しなくなってきたのです。その「乖離」を埋めるのが「セマンティック」だったと解釈しています。

「これは何をする機械ですか?」という質問に、デザイナーではなくデザインした製品自体に語ってもらうという思想。この考え方はわたしのデザイン観を根底からすっかり変えたといっても過言ではありません。

わたしはこの連載を始める時「必ず若きデザイナーに伝えたいことの1つ」として念頭にあったのが、この「セマンティック」という概念でした。その運動の中心を担っていたデビッド・グレシャムは、残念ながら世界インダストリアルデザイン展後数年で名前を聞くことがなくなりました。実際に製品化されたものもほとんどなく、その斬新なデザインは「製品としては成立し得ないデザイン」だったのかもしれません。彼の音信不通とともに、その後セマンティックもまったく語られることがなくなってしまいました。

しかしわたしは、今でもセマンティックの考え方を発想や表現の手段として大切に持ち続けています。昨年キヤノンから発売された業務用大型BJプリンタ「W8400」において2つの円筒をモチーフに用いましたが、それは昔の映画のニュースでよく登場した、大きな金属でできた円筒形のドラムが高速で回転し、新聞が印刷されている様子を「印刷の原点」として捉え、セマンティックに表現したものです。


●再びリンゴの下に集う人々

フロッグデザインのアメリカでの活躍は、多くのデザイン事務所の活動を促すきっかけとなりました。後に自らアップルで仕事をするようになったロバート・ブルーナ(Robert Brunner、1958年~)が所属したルナデザイン(LUNA DESIGN)。イラン生まれのソラブ・ボゾギ(Sohrab Vossoughi、1956年~ )が創設したジーバデザイン(ZIBA DESIGN)スマートデザイン(SMART DESIGN)、そして前出のアイディオなどが挙げられます。

なかでもソラブ・ボゾギが、ヒューレット・パッカードから独立し1984年に活動を開始したジーバデザインは、その製品デザインの質と量においてめざましいものがありました。医療機器・日用品・スポーツ用品など活動の領域は多岐にわたっていました。彼のデザインの特徴は「実質的なもの」で、グレシャムに見られるようなインパクトは持っていませんが、形状・色彩とも普段の生活に溶け込むスタイリングにさりげなく「先進性」が加味されていて、売りやすさと使いやすさを高次元で融合させたものであり、短期間に多くのクライアントを獲得した背景には「市場性への理解度の高さ」があったことが挙げられるでしょう。

「アメリカのデザインの新しい動き」は、またしてもアップルから生み出されることになります。フロッグデザインが去り、創業者スティーブ・ジョブズが去ったアップルでは、いろいろなデザイン事務所とのコラボレーションを試み、その中からしばらくアップルデザインを統括したロバート・ブルーナを見いだします。彼は初期のPowerBookをはじめ、製品のほとんどをフロッグとは異なる形に変えていきましたが、デザインに積極的な経営者ではなかったジョン・スカリー(John Sculley、1939年~)の下で十全なデザイン活動ができたとは思えません。その彼がイギリスから1人の青年をアメリカに呼び寄せたことが、新たな「アップル最大の繁栄」を呼ぶとは思いもよらなかったでしょう。

その青年とは、現在アップルのデザイン総責任者にして副社長でもあるジョナサン・アイブ(Jonathan Ive、1967年~)、その人です。彼はロンドンでデザインを学んだ後、アップルとの共同作業でその才能をブルーナに見いだされ、1992年にアップルに入社しました。彼の出世作となった「iMac」は「トランスルーセント(半透明)」という圧倒的なデザインの流行を生み出しました。

ポリカーボネート樹脂性の白とブルーででき上がった「卵形をしたモニタとパソコンの一体型」は、それまで「禁欲的」とでも表現できる無機質なパーソナルコンピュータのデザインを、根底からひっくり返すパワーを持っていました。それはちょうどアップルに戻って来たスティーブ・ジョブスの「復帰を祝うモニュメント(記念碑)」といっていい製品でした。

ファンシーという言葉はあまりほめられた表現ではありませんが、「iMac」にはディズニーのアニメーションに出てきそうなキャラクターを思わせる「愛嬌」がありました。クリスマスや誕生日に「パソコンをプレゼントする」、そんな気持ちを消費者に起こさせるだけのユニークさと、新しい生活のシーンの想像力を兼ね備えていました。「iMac」はそれまで低迷していたアップルを再建するだけにとどまらず、「アメリカを明るくする」役割すら果たしました。

ジョナサン・アイブはiMacの成功後、同様のデザイン言語でiBookをデザインしましたが、その2点を見ただけで「ファンシーであざとい色彩感覚のプロダクトデザイナー」と定義することはできません。

彼はiMacを、「会社が劇的に変化する時に必要なカンフル剤」と明確に割り切りデザインしました。その後、彼は色彩を抑え、その形体も必要以上に丸く表現することをしていません。彼が生み出したアルミ製のG5はNeXTと並び、パーソナルコンピュータの最高峰のデザインだと思います。同様にPowerBookでもシルバーのアルミを使い、iBookでは白の外装をまとっています。それはiPodの外装にも踏襲され、iPod shuffleにおいて究極のシンプルなデザインに到達しました。ビジネスにおいてもiPodの空前の大ヒットによって、アップルの最高益を毎年更新しています。

セマンティックの流行の後に教育を受けたアイブは、わたしにはフロッグデザインの創設者エスリンガーの正当なる後継者に映ります。彼がデザインした一連の白いデザインは「スノーホワイト」と呼んでもおかしくない、まさに純白なデザインと思えるのです。

「バウハウスからiPodまで」モダンデザインの系譜は、見事にアメリカで継承され続いているのです。


●あとがき

最終章で触れたアップルに、世界的に著名なプロダクトデザイナー、マーク・ニューソンがスタッフの1人として加わったことが先日発表されました。

iPhoneが世界的にメガヒットしたこともあり、アメリカ編が、今のタイミングから見ると生き生きとして感じるのは、まさに「今によって過去も変化する」ことを実証しているように思います。

しかしアメリカにあるアップルですが、デザインチームを率いているジョナサン・アイブはイギリス出身ですし、初期アップルのデザイン評価を高めたのはドイツ出身のヘルムート・エスリンガーによるフロッグデザインでした。今回新たにオーストラリア出身のマーク・ニューソンなどを考え合わせると、アップルは世界中のデザイナーが集結してできあがったデザインカンパニーだと思います。

 

本来なら「日本編」もここになければいけないと思うのですが、連載当時まさに「これまでになくプロダクトデザインが盛り上がっている最中」であったこともありますし、なにより自分自身もその中にいたので、かえって書けませんでした。

プロダクトデザインの目指すところは、すべての人に使いやすさや快適をもたらすことにあります。

連載当時、デザイン性の高いものに「デザイン家電」という名前が冠されている状態では、デザインが生活に浸透しているとは言えないように思いましたが、ここ数年そういったもてはやしが見えなくなったことは、プロダクトデザインがかつてよりも「当たり前」に近づいてきたのかもしれません。

かつてはプロダクトデザイン=家電や機械という時代がありましたが、今では若いデザイナーの人たちは、家具や食器カトラリーなど「生活全般」にそのチカラを発揮する領域を見いだしています。そこにあるのは「やさしさ」や「気づき」です。

それは本来持っている「国民性」と一致しているように思えます。「よそいき」であったデザインが、日常に溶け込んできている証左にも感じます。

「日本編」を書くには、「熱の後」とも言える今のデザインがどう定着していくかを見定めてからかなと思います。

 

プロダクトデザイナー 秋田道夫 2014年9月


 

 

 image
▲イラスト:HAL_(クリックで拡大)


 

 

 


Copyright (c)2007 colors ltd. All rights reserved