●人材と新素材
不幸な世界大戦でしたが、アメリカにとっては国が飛躍するきっかけとなりました。ドイツをはじめヨーロッパの多くの国から、優秀な芸術家やデザイナーをアメリカに集めることになったからです。先に述べたバウハウスからアメリカに渡った教授には、アメリカのデザイン教育の重要なキーパーソンとなったモホリ・ナギ(Laszlo Moholy-Nagy、1895~1946年)や、ハーバート・バイヤー(Herbert Bayer、1900~1985年)もいました。
そういった人的資源の流入とともに莫大な費用をかけた戦争兵器の開発は、同時に多くの新素材を生むことになりました。戦闘機に使われたジェラルミンは軽量で強度の高い金属であり、ゼロハリバートンというスーツケースで今も活躍しています。またFRP(プラスティックにガラス繊維を混合させた樹脂)も戦争中生み出されたものです。
その新素材FRPを使った椅子をデザインして戦後登場したのがチャールズ・イームズ(Charles Eames、1907~1978年)でした。イームズが積層合板(薄くスライスした木を重ねたもので強度が高い)を使った椅子を、先のエーロ・サーリネン(Eero Saarinen)とデザインしたのは1940年、ニューヨーク近代美術館が主催した住宅家具のコンペでした。
ここでニューヨーク近代美術館MoMAについてちょっと触れておきますが、設立は恐慌がはじまったのと同じ1929年。美術館ですから本来は近代や現代の美術品を収集していたのですが、「機械美術展」「バウハウス展」「インターナショナル(国際)建築展」などプロダクトデザインや建築を「アート」として世界でもっとも早く取り上げたことが注目されます。現在でもプロダクト製品のコレクションを積極的に押し進めています。「ニューヨーク近代美術館永久収蔵(パーマネントコレクション)」というのは、プロダクトデザイナー最大の名誉と言えるでしょう。
戦争中イームズは海軍で脚を負傷した兵士のための積層合板を使った添え木を15万個作り、新しい接着剤の研究などを押し進め、戦後それらのノウハウによって新しい家具を続々と生み出していきました。
「デザインは素材だ」と、あたかも寿司職人のようにわたしは思うわけです。
マルセル・ブロイアー(Marcel Lajos Breuer、1902~1981年)は鋼材でできたパイプ椅子をデザインし、マリオ・ベリーニ(Mario Bellini、1935年~)はゴムを使った計算機を生み出しました。プラスチックの発明によりデザインは画期的に進歩しました。材料なくしてデザインの進歩は語れないのです。
イームズは積層合板に引き続きFRPによる画期的な椅子を作りました。彼のデザインセンスについては「すごい」と思わないのですが、その素材へのチャレンジ精神においてはこれまで登場したデザイナーの誰よりも高いと思っています。量産性にすぐれ、安価で高い強度を持っていたイームズチェアは、現在でも世界中で大量に使われています。ここ数年「ミッドセンチュリーモダン」という呼び名でアメリカの1950~1960年について語られますが、間違いなくその中心にいたのはイームズであり、彼の当時の製品がいまだに容易に入手できることが人気を後支えしていると言えるでしょう。
以下次回に続く。
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