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コラム

秋田道夫のプロダクトデザイン温故知新 第2回

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やっぱり結局バウハウス(後編)

デザインの将来に向けて、過去から今に残っているものを探るのも悪くない。
このコラムではモノが大量生産されるようになった草創期から振り返り、
デザインとモノの変遷を捉え直していきたい。
過去には未来へ向けた種子がまだ隠されているかもしれない。


[
プロフィール]
秋田道夫:1953年大阪生まれ 1977年愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業。
ケンウッド・ソニーを経て1988年に独立。フリーランスのプロダクトデザイナーとして現在に至る。
http://www.michioakita.jp/

※本コラムは雑誌「Product Design WORLD」(2005年ワークスコーポレーション刊)の連載から、
版元をはじめ関係各位の許諾を得て、pdweb用に再掲載しました。原則的に加筆・修正は行っていません。

●アルバースこそバウハウス?

イッテンの後任として、バウハウスの卒業生であったアルバースが予備過程を担当することになりました。わたしが知る限りでは、これまであまりアルバースに大きな注目をすることはありませんでした。綺羅星のごとく著名な人物が出入りしたバウハウスの教師陣のなかでは、もっとも目立たない人物の1人かもしれません。

しかしながら改めて調べてみると、バウハウスがバウハウスたるゆえんを作ったのはアルバースの力ではなかったとすら思うように認識が変わりました。

彼がその教育プログラムで学生に習得させようとしたのは紙、布、ガラス、鉄など「素材」の持つ質感、量感、製造技術などの客観的な特性の認識と、どういう使い方をした時にその材質が「もっとも輝くのか」という情緒的な判断をするための感性の向上でした。

最初に「ビクトリア様式」というお話をしましたが、バウハウス以前では例えば植物を「鋳物」で再現したり、動物をガラスや金属で忠実に再現したり、昔からある美術品の複製品を作る材料として使っていたものが、アルバースの手によってそれら布、金属、ガラスの素材そのものを生かした使い方をして形作られるべきであるという「現代デザイン哲学」の基本的な考えがここに誕生したと思うのです。
アルバースの課題をちょっと説明しますと、例えば紙を使って「もっとも紙が美しく存在する形を作りなさい」と彼が学生にテーマを説明します。接着剤は使わず道具としてはカッターだけが許される。今までにまったく経験をしたことがない課題であるわけで、きっと生徒は目を丸くして困惑したでしょうね。みんな必死に紙をねじったりひねったりしながら動物やら建物やら必死に作っている中、1人ぐらいは「気の利いた」人物がいて、ちょこちょこっと紙に切り込みを入れてルーバー(等間隔でスジの入ったもの)を作って互い違いに折り曲げて「はいアルバース先生できました!」と言うわけです。周りがぽかーんとしているなか、先生が口を開く。「みなさん、ランガー君の作品に注目してください。この作品は全然手間も時間もかけていませんね。ですが結果としてはとても美しい、紙は彼の手によって美しく生き返りました。みなさんもこういった考え方で課題を作ってみてくださいね」なんて授業が目に浮かびます。なぜなら、つい最近までわたしもこういう授業をやっていましたから。

どうして80年前にこんなにデザインの本質にせまる課題や方法論を生み出せたんでしょうか? 今となっては残された写真と再現された課題の習作を見るしか手立てがなく、ヨゼフ・アルバースという人物そのものも「1枚の紙」になってしまいその前後左右を知るすべもないのですが、カンディンスキーの絵画やオランダで生まれたデ・スティル(ザ・スタイル新造型主義と訳されています)のリートフェルトの家具や、モンドリアンの抽象画など時代の空気を総合してアルバースの手によって「元素還元」されたのでしょうね。彼の課題で作られた作品を見ると、それらはまるでアートでありモダンデザインそのものに見えます。まるで時代のへだたりを感じない。アルバースが目指した教育は、まさしく現在のプロダクトデザイナーを育成する原点だと思っています。「デザイン」というのは、どこまで「原形」に近い形で「1つの折り曲げ」「1つの切り込み」が全体に影響を及ぼすかということの習得です。

それよりも何よりもアルバースという人物がいてくれたおかげで、単なる「手抜き」が「デザインの極意」に生まれ変わった瞬間でもあります。

   

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▲イラスト:HAL_(クリックで拡大)


●有名人は教え下手?

ちょっとアルバースの話に偏ってしまったので、少し引き戻してバウハウスを俯瞰してみましょう。パウル・クレーやカンディンスキーといったすでに名を成したアーティストたちは、彼らが発表した作品に比べてやたら「理屈っぽい」課題が多いのも特徴の1つです。

人間見かけと反対のことを人には要求するものだなあ、となにか人格の本質を垣間見た気がするのですが、はっきり言って「面白くなかった」でしょうね。彼らの課題は。

先生はやたら有名だし、絵を見てもあんまりそんな理屈でできているようにも見えないし、やらされることは色を混ぜて切って紙に貼って、誰がやっても同じような結果にしかならないし。『アルバース先生の授業の方が面白いなあ』と心中思いながらも、存在感強いし怒られそうだし(写真でわたしが勝手に想像しているだけですので)、まあ我慢してやっておくかという感じじゃなかったでしょうか。

というのも、あまり有名な先生から影響を受けた作品を、バウハウスの作品集で見かけないのです(テキスタイルにはクレーの影響は見いだせますが)。

他方、先生方の作品から、バウハウスの影響を受けた痕跡を見いだすのもまた難しいのです。やっぱり年の近い「兄貴的」な存在の先生でないと交流は難しいのかなと「自分事」として思ったりするわけです。

 

 

●3人の卒業生

バウハウスを卒業し、成果を残した人物を考えて見ましょう。わたしには3人のデザイナーの名前が浮かびます。1人はスチールパイプの椅子で今でも非常に有名なマルセル・ブロイアー(Marcel Lajos Breue、1902年~1981年)。もう1人はアレッシーから販売されている灰皿(わたしも持っています)や金属食器をデザインしたマリアンネ・ブラント(Marianne Brandt、1893年~1983年)。それから「テーブルランプ」をはじめガラス製品を数多く残したヴァーゲンフェルト(Wilhelm Wagenfeld、1900年~1990年)です。

ブロイアーはバウハウスの1期生です。初期にはリートフェルトを思わせる木を使った構成的な家具を作っていましたが、当時流行の自転車からヒントを得たスチールパイプを使った椅子によって、一気に才能の花が開きました。彼が1920年代に生み出したスチールパイプの椅子は「パーマネントデザイン」と言っていいものでしょう。スチールパイプを使った家具は今でも毎年のように世界中から新しく発表されていますが、結局のところブロイアーの作った太陽を中心として公転する惑星にしかすぎません。しかしその太陽たるブロイアーも、その後バウハウス時代に作った椅子の原形を超えるものを作り出すことは残念ながらできませんでした(後年、合板を使った家具をデザインしていますが、わたしにはちょっと悲しくすらあります)。

あのスチールパイプも「クロームメッキ」されることなく「自転車の仕上げそのままの焼き付け塗装」であったなら、後世に残ることはなかったでしょう。やはり、いろいろな製品を作っているバウハウスの工房の熱気がブロイアーの肉体を借りて世に生み落とした「贈り物」ではなかったでしょうか。

ブラントとヴァーゲンフェルトの名前を挙げていながら実は、今回いろいろな文献を調べるまで知りませんでした。

デザインした球体のポットや灰皿、食器、テーブルランプ自体は「バウハウス的な製品」として昔から知ってはいましたが、それらのものが2人の卒業生の手によるものだと思っていなかったのです。

ちなみにマリアンネ・ブラントは名前からわかるように女性ですが、80年前女性がデザイナーになるということは大変な難儀だったでしょう。しかしバウハウスでは学生の半分が女性だったそうで、単に教育システムだけでなく平等な環境作りといった点においても画期的な学校であったことがうかがい知れます。

2人の名前を知らなかった理由を考えると、バウハウスから生まれた製品は食器や照明機具、ガラス製品、あえて言えばグラフィックすら「共通のデザイン」でできています。つまり、球体や三角錐・立方形などきわめて整然とした幾何形体でデザインされています。どんな目的で使われようが、なかば強引に「基本形体に押し込んで」デザインができ上がっています。2人はバウハウスの典型的なデザイナーだったわけです。それはあたかも「バウハウス」というブランド名の「総合家庭電化用品メーカー」のようです。おかげで統一感があり見た目はとても美しい。しかし本当にそれらのものは「そういう形」でなければいけなかったのかというと、どうも疑わしい。別の形でも同じような目的を果たせたかもしれない。いやひょっとしたら別の形状をしていた方がより使いやすかっただろうと思います。でも後世に残ったのだからよいとしましょう(ちなみに戦後グロピウスがデザインした素敵なティーポットがあるのですが、実際に使ってみるといたく使いにくいという話を聞いたことがあります)。

2人についてわたしは「バウハウス」というブランドの忠実で優秀な「インハウスデザイナー」という位置付けを無意識にしていたのでしょうね。そう考えると、先出のブロイアーはバウハウス工房の「空気の力」を借りたとしても、彼の生み出した椅子の存在感はバウハウス言語を超えたものです。ブロイアーはバウハウス出身の「フリーランスデザイナー」ですね。

実は3人以外にもまだまだ名前を挙げ紹介しなくてはいけない人たちが大勢います。オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer、1888年~1943年)、モホリ・ナギ(Laszlo Moholy-Nagy、1895年~1946年)、ハーバート・バイヤー(Herbert Bayer、1900年~1985年)、そして最後の校長を務めたミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年~1969年)、そしてバウハウスを戦後ウルム造型大学とし復活させたマックス・ビル(Max Bill、1908年~1994年)などなど。バウハウスはくめど尽きないデザインの原泉です。

●最後に

そんな多大な影響力を残したバウハウスですが、実はもっとも重大なテーマであったにも関わらず果たせなかったことが1つあります。

それは「新しい時代を担う偉大な建築家」を生み出すことができなかったことです。バウハウスが残した偉大な建築物は、グロピウス自身が設計したデッサウの校舎だったなあとしみじみ思うわけです。

皮肉な話ですが、「20世紀の三大巨匠」と呼ばれるル・コルビジェ(Le Corbusier、1887年~1965年)、ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)そしてフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年~1959年)も正規の建築教育を受けていません。

グロピウスの壮大な夢は、建築家を生み出すために作った高速道路の道すがらにすぐれた家具や食器、照明器具やグラフィックデザインを残す結果となりました。


 

 

 

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▲イラスト:HAL_(クリックで拡大)


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