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コラム

建築デザインの素 第39回
「行動××学」に、心ときめく

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。


■行動

今年のノーベル経済学賞が、「行動経済学」の研究の第一人者として知られる米国シカゴ大学のリチャード・セイラー教授に贈られた。

多くの建築家が、行動経済学の「行動」という言葉を聞いて、ビクッと反応したんじゃないかと僕は思っている。なぜならば、このところ建築のデザインでは、「アクティビティ」や「アクティビティ・デザイン」という言葉に注目が集まっているからだ。人間の行動に目を向けることが、今、建築デザインのトレンドになっている。

■アクティビティ・デザイン

建築家の間では、建築そのものの「かたち」が長く関心事の中心にあった。しかし最近では、建物は人間を納める器であり、より重要なものはその中の人間であり、その人間の振る舞いにあるのではないか、との考えが広がっている。つまり建築においてデザインされるべきは、建物の形に留まるべきものではなく、建物を通して、そこで繰り広げられる人間の行動にまで及ぶべきなのではないか、という考え方が広がっている。僕が所属している日建設計の中にも、「NAD=Nikken Activity Design」というチームを数年前に新設し、アクティビティから建築のデザインを考え、仕事している。

■経済

「行動経済学」という言葉に建築家が反応するのは、「行動」の部分だけではない。行動と同じぐらい敏感に、建築家は「経済」という言葉にも反応する生き物であるからだ。

建築の中でも一番小ぶりなサイズにカテゴライズされる住宅ですら、人生における極めて大きな買い物であるし、ビル建築ならば数十億円から数百億に及ぶものもざらであり、建築の多くは世の中の経済活動と密接なかかわりを持たざるを得ない。多くの経済活動は、商業主義的な考えと結びやすく、クライアントも多大な投資をしてつくる建築から、最大収益を求めることが一般的である。さらには、昨今では物理学を経済予測に応用した「金融工学」が隆盛を極め、経済的合理性が建築計画上の大きな与件となり、是非の判断基準となっている。今や、金融工学的建築計画や金融工学的都市計画が幅を利かし、建築家の存在意義や役割は相対的に小さくなりつつあると、多くの建築家は感じている。

■行動経済学

こんなわけだから、多くの建築家は「行動」と「経済」という言葉がくっついた行動経済学という言葉に触れた時、金融工学的な冷徹な絶対性を見る思いがして、ピクピクと反応せざるを得ないのだ。

経済学に疎い僕は、たまたまノーベル賞発表の数か月前に、大学生の友人から「卒論のテーマは、行動経済学よ」と聞いて、最初にピクピクしてしまった。「行動経済学とは何なんだ!」と問う僕に対して、彼女はさらりと「一般的には、合理的判断をしていると思われる人間の経済活動も、意外なほど人間は不合理な判断をしているという事実に着目した学問よ」。なんだかとってもわかった気にさせる説明を聞いて、僕はピクピクピクと反応してしまった。とはいえ、怠惰な僕はこの言葉をそれからしばらく忘れてしまっていたのだが、テレビでノーベル経済学賞の発表を聞き、再び反応がよみがえってきた。

さっそくWikiなどで調べてみると、人間が経済を合理的に判断しようとしつつも、非合理的な行動をとってしまうパターンをキーワード化した、気になる用語が出てくる出てくる。例えば「現状維持バイアス」という言葉は、「マズいとは分かっていても、現状維持に固執するバイアス」行動と解説されている。さらには「極端回避性」という言葉は、「大概の人間は中庸なものを選ぶ」行動と解説されている。

行動経済学の中にちりばめられた言葉とその解説を見ていると、金融工学に裏打ちされた血の通わない「経済」という言葉が、何やら極めて人間じみた行動の集積で動いているもののように感じられ始めた。それどころか、行動経済学で着目している人間の行動のどれもが、僕らが日々行っているデザインの場でもそのまま見られる、クライアントや我々デザイナーがとる行動をそのまま描写したものにも思えてくる。

■行動××学

ここで誰もがこう思うのだろう。「行動経済学」における行動に対する視座は、他の分野にも応答可能ではなかろうか? つまり「行動建築計画学」や「行動デザイン学」みたいな研究が、今後始まっていくんじゃないかと。

先に書いたように、建築の世界では行動自体をデザインすることに対してはすでに多くの人が着目しているが、デザインそのものが人間にどう判断され取捨選択されているかという視点での研究は、あまり聞いたためしがない。建築のデザインを取捨選択するにあたって、人間が経済における選択において必ずしも合理的な判断を行っていないように、不合理な判断をする生き物となると、テーラーリズム以降の合理的判断により取捨選択され、洗練をされたものとは異なるデザインの可能性も見えてきそうな気がする。

デザイナーのみならず、合理性の呪縛に辟易としている現代人にとって、学問的本質はともかく、「行動経済学」が放つ語感は魅力的だ。2018年は、「行動××学」なる怪しげな学問が、雨後の筍のごとく、そこここに表れそうな気がしている。



イラスト
▲写真1:著名な観光地である、トレビの泉。「泉にコインを投げ込むとここを再び訪れることが出来る」という都市伝説のためか、多くの人々がコインを投げ込み、それをまた多くの観光客が見ている。でも実際に建築がどんな形をしているかは、殆どの人が記憶していないのではなかろうか(笑)。こういう情景に出会うと、たしかに建築のかたち以上に、アクティビティが重要に思えてくる。(クリックで拡大)


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