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コラム

建築デザインの素 第38回
バベルの塔はなぜ破壊されたのか?

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。



東京都美術館に続き、大阪の国立国際美術館で、ブリューゲルの「バベルの塔」展が開催されている。意外なことに僕が画面から感じたのは、バベルの塔=倒壊のイメージに反して、巨大建築の建設を、エネルギッシュに進める人々のパワーであった。なぜなんだろう?

■バベルの塔

バベルの塔と言えば、その無謀な巨大さが神の怒りを買い、破壊された建物としてのイメージが強い。僕も漠然とそんなイメージを持っていた。人間の力では実現不可能な、天まで届く巨大な塔の建設を試みたために、神の逆鱗に触れ、神によって崩れた巨大建築、こんなイメージが一般的に持たれているのではなかろうか。それゆえか、今では「バベルの塔」と言えば、実現不可能なことへの無謀なチャレンジを意味するようになっている。巨大な建築物が、人間のおごりの象徴として、また繁栄した営みは永遠のものではなく栄枯盛衰の定めにあることの象徴として位置付けられている。

ユダヤ教やキリスト教世界の話ではあるが、日本の平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、~ひとえに風の前の塵に同じ。」に通じるところもあり、僕ら日本人には意外にしっくりとくるストーリーだ。普段、大型建築をデザインしている僕にとっては残念なことだが、バベルの塔は、「巨大建築とは、自然の摂理に反したものであり、いつかは神の怒りに触れ、壊される『愚行』である」的な教訓のシンボルである。残念なことだがいつの世でも、巨大建築は嫌われモノなのかもしれない。

■旧約聖書の中のバベルの塔

もう少し詳しく見てみよう。

バベルの塔は、BC1000年からAD100年の間にまとめられたといわれるユダヤ教の聖典、キリスト教の聖典(聖典はもとのもの、正典は編集された規範だそうです)、そしてイスラム教の啓典である「旧約聖書」の中に記された話だ。

旧約聖書のなかでも、最初の書、モーゼがBC1440~1400年ごろ記したといわれる「創世記」に現れる伝説の塔である。実際には創世記の中には、人々が「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」と、都市とともに塔の建設を目指されたことが記されているのみである。塔は、都市の建設と一体不可分のシンボルとしての役割が期待された巨大な建築として位置づけられている。

建設にあたっては、「彼らは互いに言った。『さあ、れんがを作ってよく焼こう』。彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青(アスファルト)を用いた」と書かれている。つまり、人々はバベルの塔の建設にあたって、今日でいうところのいわゆる新技術を積極的に用いようとしていたとされている。

現代でも、巨大な塔を都市繁栄のシンボルとしてのみ建てることについては、賛否が分かれるかもしれない。しかし、塔を建設するにあたっての彼らの勤勉さと新技術への探求心自体は、今であれば神の逆鱗に触れるような悪行とは映らない。

だが神は、人々のこの行動に対して、「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」と下界に降り、言葉を混乱させ人々を建設現場から離散させてしまい、その結果バベルの塔の建設は滞り、人々は都市を捨てていったと記されている。

意外なのは、通説でいわれている、神が怒りバベルの塔を壊したという記述はどこにもないことだ。ディテールの違いはともかく、ここで重要なことは、旧約聖書の創世記が編纂されたBC1000年からAD100年当時すでに、大規模な建築に関わる論争は神をも巻き込む大論争となり、それに基づく戒めが宗教の形で定型化し、書き言葉で記録されていたという事実である。

■実在のバベルの塔

火のないところに、煙は立たない。トロイヤ遺跡発見に先立ちホメロスの「イリーヤス」がシュリーマンに与えたインスピレーションほどではないにしろ、この旧約聖書にあるバベルの塔の話には、その元となる歴史的事実が先行してあったに違いないとの思いを掻き立てる。

事実、多くの人々が、バベルの塔の話の下敷きとなった塔を探し回り、今ではチグリス・ユーフラテス川流域に建設された多数の塔、特に今もバビロニアに残る「エ・テメン・アン・キ」こそが、それではなかろうかと指摘している。現状では、塔はまさに崩れ去り、基礎部が残るのみである。
https://www.google.co.jp/maps/@32.536628,44.4206788,920m/data=!3m1!1e3


中央の「Tower of Babel」と記されたポイント。残念ながら、ブリューゲルが描いたそれとは異なり、平面系は矩形であるのだが)。この指摘が正しく、エ・テメン・アン・キにまつわる歴史的事象が語り継がれて、記述され、創世記となったのであれば、その歴史をさかのぼることで、おそらく世界最初の大型建築に関する論争が生まれた経緯を垣間見ることができるはずだ。

■バビロニア繁栄の象徴

このエ・テメン・アン・キ、もともとはメソポタミア文明最古の文化を築いたシュメール人が建設途中で放棄してあったものを、新バビロニア王国時代のBC7世紀からBC6世紀にかけて完成させたもの。専門的には「ジッグラト」と呼ばれている階段状にステップバックしていく建物の1つだ。

BC3000年頃にメソポタミアでは都市の発展がはじまり、それと同時にそれをシンボライズするかのように、多数のジッグラトの建設が始まったらしいが、旧約聖書の中の都市と塔の関係との類似性が面白い。建設には天然の石材ではなく、人工物である日干し煉瓦や焼成煉瓦が用いられ、アスファルト(瀝青)を挟んで積み上げられていたことも、旧約聖書の記述と合致している。

現在も残る基礎部から、最終的には、高さはおよそ91m、底辺は矩形で一辺が約91mのらせん状に連なる7階建ての塔であったと推計されている。平坦なバビロニアにおいては、91mという高さは、まさに天にも届かんとする巨大建築であったに違いない。メソポタミア文明やエジプト文明などの専制体制の中では、そもそも大規模な建築の建設は王の権力を誇示する手段であったといわれている。旧約聖書を素直に読めば、エ・テメン・アン・キは単なる王の権力の象徴を超え、バビロニアの都市生活者にとってもバビロニアという都市の繁栄を象徴する、誇らしい存在へと昇華されたものであったに違いない。

ではそのバベルの塔は、どういった経緯をたどり、神に忌み嫌われ、人類の驕りの象徴として「嫌われる巨大建築物」へと大きくその意味を変えていったのだろうか。

■嫌われモノ、バベルの塔の誕生

BC587年頃、この大繁栄の真っただ中のバビロンに、のちに創世記を啓典としてまとめることになるユダヤ人が多数捕囚として強制移住することになる。世にいう「バビロン捕囚」だ。この時期は、エ・テメン・アン・キの完成の時期に重なる。多くのユダヤ人が、その当時盛んに進められていたバビロンの都市建設と、その象徴であるエ・テメン・アン・キの建設に携わったことは間違いない。

この時期のバビロンの圧倒的な王権や、宗教や、宗教建築に触れることで、バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちは、強烈なアイデンティティ・クライシスを感じるはずである。この危機感の中で、バビロニアのように建築の荘厳さに頼るのではなく、代わりに律法を重んじるユダヤ教の基礎が築かれ、ここでの経験が創世記の中にバベルの塔にまつわる話として記録されていったのだろう。

そしてこのプロセスの中で、バビロニアにおいて大型建築が担っていた王の力を示すシンボルから、都市繁栄のシンボルへと役割がさらに変化した。大型建築自体も、それを支える最新技術も、そしてそれを支える一枚岩としての強靭な社会システムも、ユダヤ人にとっては人類の傲慢な驕りであり、やがて滅びるものとして否定される存在となり、嫌われモノ、バベルの塔のストーリーが完成したのではなかろうか。

■ブリューゲルのバベルの塔

16世紀のフランドルの画家ピーテル・ブリューゲル(父)は、バベルの塔を描いた作品を、彼の傑作の1つとして残している。これが今回、224年ぶりに日本でも公開され、多くの来場者を集めている。
http://babel2017.jp/

ブリューゲルは生涯にバベルの塔を数枚描いたようだが、今我々はそのうち2点を見ることができる。いずれの作品も塔の頂部を見る限り建設途中に見え、かつ建設に携わる多数の人々が画布上に描かれているところから、神の逆鱗に触れ建設が止まる以前の状況を描いたのだろう。

誤解を恐れずに言えば、ブリューゲルが描いたバベルの塔には、旧約聖書において巨大建築が担わされたネガティブなイメージは感じられず、むしろ人知を集めた技術的なチャレンジとして、巨大建築の建設を前向きにとらえられているような勢いさえ感じる。ブルゴーニュ公国の繁栄に支えられたフランドル派の流れの中にあったブリューゲルには、バベルの塔はむしろ人類の偉業の象徴として見えていたのかもしれない。

以後、バベルの塔は、多くの画家のモチーフとして繰り返し取り上げられていくことになるが、いずれの作品においてもブリューゲルのそれと同様に、バベルの塔は未完の状態で描かれ、倒壊した状態や明らかに見捨てられて荒廃した状態で描かれたものは見当たらない。現代の僕らから見ると、この時代の画布に描かれたバベルの塔は、人間の探求心や都市の繁栄の夢を描いたものへとその役割を変化させたようにも見える。

■キリスト教における巨大建築の意味

同じ頃、旧約聖書に始まったキリスト教においても、巨大建築に対する意味合いが変化していった。

中世においては控えめな構えをとっていた教会建築が、ルネサンスを境に、巨大建築化する。フィレンツェのサンタマリア・デル・フィオーレがその先鞭であろう。その巨大さは、全長153m、最大幅90m、高さ107mに及ぶ。完成したドームは、石積みのドームとしては、いまだ世界最大であるという。

キリスト教会の巨大建築化は、ローマのサンピエトロ大聖堂へと引き継がれ、ルネサンス期からバロック期にかけ建設がすすめられ、1626年に完成した。大聖堂本体のみでも、全長211.5m、最大幅156m、高さ120mの規模を誇るが、さらにその前面には長さ200mにも及ぶサンピエトロ広場が設けられており、世界最大級の教会建築となっている。

ここにおいて興味深いのは、教会が巨大建築として建設が進められた時期は、教皇やローマ教会がむしろ力を失っていく時期に重なることだろうか。宗教的アイデンティティ・クライシスが、今度は巨大建築建設を神の信仰心の象徴へと変化させた。

■なぜバベルの塔は破壊されたのか

さて議論を再びバベルの塔へと戻すことにしよう。

残る疑問は、ではいつから、この旧約聖書に記されたストーリーが改変され、バベルの塔は神の怒りに触れ破壊される巨大建築物へと歪曲されたのであろうか。倒壊するバベルの塔が描かれたものとしては、ブリューゲルと同時代の1547年のコルネリウス・アントニスゾーンの「バベルの塔の崩壊」まで遡ることができる。
http://sociedadmartinista.blogspot.jp/2014/03/el-simbolismo-de-la-torre-de-babel.html

だが先にも記したように、この後繰り返し描かれるバベルの塔は、ブリューゲルの描いた建設途上のイメージの方が主流となり、人類の偉業としてたたえられているかのような印象を放つものが多い。ルネサンス以降のヨーロッパ経済の隆盛と、ルネサンス以降の「人間の可能性」を重視した流れ(アルベルティ)と、キリスト教の影響の相対的な縮小の中で、バベルの塔は旧約聖書において込められた否定的な意味が弱まり、人類の野望の痕跡としてロマンチックに扱われていたのかもしれない。

私自身がたどることができた、現代我々が持つ、神が怒りによりバベルの塔を破壊するイメージの原点の1つは、邦題「天地創造」(原題 The Bible: in the Beginning)である。旧約聖書の創世記を映画化した、1966年のアメリカとイタリアの合作映画だ。おそらく、バベルの塔が最初に映像化された作品であり、直接的にも間接的にも、現代人が思い描くバベルの塔のイメージの源泉となっているものではなかろうか。

この映画の中では、バベルの塔が神の怒りを買う場面は、建設中のバベルの塔に王ニムロデが昇り、天に向かって弓を射るシーンとして描かれている。そしてこれに対する神の怒りは、突如吹き荒れる疾風として表現され、疾風は建設中の足場や労働者達を吹き飛ばし、建設中の塔を(極めて限定的な範囲ではあるが)崩壊させる(
写真2)。

「天地創造」がつくられた1966年という時代を深読みすると、レイチェルカールソンの「沈黙の春」(1962年)や、ジェーンジェイコブスの「アメリカ大都市の死と生」(1961年)とほぼ同時期であることが興味深い。20世紀的な大量生産の美学に裏打ちされた機能優先の近代都市やモダニズム建築が否定され始め、アメリカで大きな建築が疎まれ始めた時期と奇妙にも重なる。現代社会においてバベルの塔は、疎まれ破壊されるべき巨大建築を象徴するものになった。

さらには、この「天地創造」に影響を受けたと思われるアメリカのTVドラマシリーズに「Greatest Heroes of the Bible」がある。1978年においてはこの傾向はさらに加速されている。神の怒りは落雷として表現されて、ラストシーンではバベルの塔は、落雷に打たれ派手に倒壊していく(
写真3)。旧約聖書の記述から大きく軌道が外れたバベルの塔の扱いが、いつの間にか定着している。現代社会では、巨大建築とは天則に反するものであり、ゆえに神の怒りに触れ、倒壊する、というパターン化が定着し、バベルの塔がそれを意味する言葉として定番化した。

バベルの塔を通して、そもそものバビロンの繁栄と新技術の象徴であった大型建築が、その大きさ故にバビロンと敵対する人々からは神への冒涜の象徴として忌み嫌われた。一時、ルネサンス辺りでは、バベルの塔は人間の可能性を象徴するものとして好意的には扱われたものの、現代社会では巨大建築への懐疑心がそこに重ね合わされ、巨大建築は神によって破壊される「嫌われモノ」として位置づけられ、その象徴としてバベルの塔が据えられたわけだ。巨大建築は、その巨大さゆえに、その時代において担う意味合いを大きく変えて象徴となってきた。

「時代が、建築の担う意味を変える」。これこそが、バベルの塔が教えてくれる巨大な建築の特性の1つなのである。


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▲写真1:1958年に生まれた東京タワーと、1951年に誕生した鉄腕アトム。高度経済成長期に誕生したこれらを振り返ってみても、大型建築や原子力が担って来た意味合いは、目まぐるしく変わってきていることに気づく。(クリックで拡大)

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▲写真2:映画「天地創造」のバベルの塔の倒壊シーン。破壊されているのは、建設用の足場や揚重機などと、まだ倒壊は限定的だ。(クリックで拡大)

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▲写真3:映画「Greatest Heroes of the Bible」の、バベルの塔の倒壊シーン。こちらではもはや旧約聖書の記述を逸脱して、神の怒りの象徴である落雷が派手にバベルの塔本体を破壊している。(クリックで拡大)


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