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コラム

建築デザインの素 第37回
靴の脱ぎ履きをデザインする

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。


ホテルに行ったとき、靴をどうしていますか?

家の中では靴を脱ぐ風習を持つ日本人にとって、玄関や下足箱のない建築空間の中で、いつ、どこで、どのタイミングで靴を脱ぐかは、意外に奥深く、文化と慣習、それに気候や衛生感など広範囲の事象にまたがった複雑な問題ではないだろうか? ホテルに泊まるたびにそんなことを考えてしまう。

■ベッドと靴の悩ましい関係

西洋スタイルの空間だから当然のことではあるのだが、シティホテルやリゾートホテルでは、土足で歩く床の上に直接ベッドが置かれているにもかかわらず、日本人に靴を脱ぐタイミングを促すお約束になっている「上り框」も「下足入れ」もない。靴はどこで脱ぐのが正解なのだろう? 

ハリウッド映画の中では、主人公が靴を履いたままベッドにゴロンと横になったりしているが、これが僕には気安くはできない。日本のホテルではただの飾りにしか過ぎない「ベッドライナー」(ベッドの下側を覆う帯状の布)が、そもそも土足でベッドに寝転んだ時にシーツを汚さないための機能を担っていたとも聞くが、あれっぽっちの布切れでは全然納得がいかない。

「トイレの濡れた床を歩いたかもしれないこの靴を履いたままで、寝床に入るなんて」といったさしたる根拠のない衛生感が、前時代的貞操感のように頭をもたげ、僕の行動を著しく制約し、動揺させる。「ベッドに寝転ぶには、きちんと靴を脱がなきゃだめじゃないの!」と。

■いつ、どこで、どんなタイミングで靴を脱ぐか?

日本のホテルなら、クローゼットにスリッパが用意されていることが多いので、これがお約束になって靴を履き替えるタイミングを与えてくれる。ちょっと大げさだが、アメニティグッズによるホテル空間の日本化と言ってもいいかもしれない。

だが大概の場合詰めが甘く、スリッパがビニール袋で梱包されていたりするものだから、クローゼットの前でスムーズな土足とスリッパの交換ができない。こうなると大変。土足のまま服を脱ぎ始め、ズボンとワイシャツを脱いだタイミングで洗面室に行こうとして、足が濡れるのが嫌なものだから靴を履くのだが、靴を素足に直接履くのも嫌なので、パンツ一丁に靴下と靴だけを履いたそれこそ「おでんくん」みたいな不思議な格好で部屋の中を歩き回ることになってしまう。最悪だ(笑)。

それを避けるために、つい素足でホテルのカーペットの上を歩いてしまう。だが今度はベッドに入るときに、床を歩いた足をそのままベッドに入れる罪悪感に苛まれる。こんなわけで、未だホテル生活をうまく送れたためしがない(笑)。

グローバル化の時代、英会話も大事だが、日本人は靴をいつ、どこで、どのタイミングで脱ぐべきなのかを学び、慣れ親しまなければならないのかもしれない。そんなことを漠然と考えていた。

■ラグの上なら、脱いでもいいかも?

7月にプライベートな用事で、ロンドンに行った。

いつもならホテルに泊まるところだが、今回はAirbnbの流行もあって、一般の人々が使っている集合住宅に泊まってみることにした。もっとも実際に泊まったのは、イギリス伝統のロウハウスではなく、学校建築を改築してメゾネット形式の住宅にしたもの。間取りは1階が玄関と、ベッドルームと浴室で、階段を上がった2階がワンルームのリビングダイニング。インテリアのしつらえは、オーナーの趣味で集められた書籍や家具がそのまま使われて、ややハイランクのイギリス人の生活を感じることができるものだった。

スリッパは当然用意されていないので、自宅からサンダルを持ち込み、土足-部屋履きとしてのサンダル-素足の連携で、イギリス流の靴を履いた室内生活にそれなりになじむことができた。と思ったのもつかの間、ベッドに横になる以外の時もどうしても靴を脱ぎたくなってきた。例えば、ダイニングテーブルでのんびりお茶を飲んでいるときや、ソファーでくつろいでいるときには、なんとなく靴を脱ぎたくなってくるのだ。いや、気が付くと脱いでいた(笑)。

なぜ靴が抵抗なく脱げたのかを考えてみたのだが、どうやらダイニングテーブルやソファーの下に敷かれたラグ(置き敷きの小型のカーペット)の存在が大ききように思えた。僕ら日本人には、ちょうど畳敷きや板の間に敷かれた茣蓙(ござ)のような感じがして、土足で歩き回る床の中に素足が許される結界が生み出されているように感じたのだ(写真1)。

日本では、機能とは切り離された単なるインテリアデザイン上のアイテムの1つにしか過ぎないラグが、ベッドライナーと同様に、イギリスの文化の中では機能上必要なアイテムとして、デザインに取り入れられてきたのかもしれない。

■イギリス人の靴脱ぎ事情

靴を脱いでソファーでくつろいでいると、「いやひょっとしたら、イギリス人もソファー周りで靴の脱ぎ場を設けるためにラグを敷いているのかもしれない」とそんな思いが首をもたげてきた。そういえば、バースで見学してきた18世紀の住宅の中でも、部屋の要所にうまくラグが配置され、心地よさそうな空間が作られていた。主人の部屋はともかく、召使の部屋さえ、食卓の下にはラグが敷かれていて、いかにも靴を脱ぎたくなるようなしつらえになっていたではないか(写真2)。

こんな思いをぶつけてみるべく、ロンドンに住む生粋のイギリス人の家を訪ねてみた。玄関に入ると、なんと靴を脱ぐよう促された。聞いてみると、彼は自分の住まいを汚したくないので、土足は玄関で脱ぎ、室内履きに履き替えているとのこと。そして彼曰く、そうした土足を持ち込まない暮らしは、主流とは言わないまでも現在ではイギリスでも珍しいことではないらしく、またヨーロッパでも土足で家の中に上がらない習慣を持った人々がいるとのことだった。確かにWebを巡ってみても、そんな記述が多数見つかった。
https://matome.naver.jp/odai/2147981263256850301

もっとも、彼の家は土足を前提として作られているイギリス風であるから、玄関ホールには上がり框もなく下足入れもない。そこで彼は、玄関ホールに小さなラグを敷いて、靴置き場にしていた。彼が脱いだ靴がラグの上に並べられ鎮座している姿が、住宅のつくりと生活がうまくシンクロしていない状況をユーモラスに描き出しているように感じた。

残念ながら、「ラグの存在は、靴を脱ぐタイミングを示す」との僕の仮説は、彼の賛同は得られなかった。「ラグの存在など気にせず、脱ぎたいところで靴を脱ぐ」のがイギリスの基本だとか。議論を重ねるうちに、そもそも靴を脱ぐタイミングは人の数だけあるものだが、日本では伝統的にそのタイミングが上がり框や下足入れという形で建築化されているために、靴をいつ、どこで、どのタイミングで脱ぐのかが広く標準化しているのではなかろうか、との仮説に至った。

靴を、いつどこで、どのタイミングで脱ぐのかは、個人のライフスタイルを反映して、意外なほど広範なダイバーシティを持つものなのかもしれない。残念ながら、イギリス人1人と日本人1人だけではサンプル数が足りず、議論はなぞに包まれたまま、イギリスの旅は終わってしまった。

■靴を脱ぐ場をデザインする

さてこういったわけで、僕は人々が生活の中で、いつ、どこで、どんなタイミングで靴を脱いだり履いたりするのか、そして僕ら建築家はそれをどうデザインしていったらいいのか、という問題に、最近は興味津々である。

日本の住宅の1FL(床高)が地面に近づき、上がり框が事実上消失して段差がなくなり、靴を脱ぎ破棄するための重要な結界であった日本の玄関は、靴を脱ぐ場所としてのデザインとしては非常に中途半端な状態にある。

小学校や中学校では靴を脱ぎ校舎に上がるケースが、それ故に彼らに望ましいかたちで教室と校庭との自在な連続性がデザインされていないものも多い。また靴を脱ぐことでリラックスできる国民性ならば、靴を脱いで上がる「小上り」を居酒屋の独占から解放し、知的生産性が求められるワークプレースや会議室に導入したら効果的なデザインができそうにも思える(写真3)。改めて見返してみると、靴の脱ぎ履きには伝統的にこだわりがあった日本ではあるが、現状はそのアクティビティがうまく建築化されていない状況にありそうだ。

そんなわけで、靴の脱ぎ履きに着目した建築デザインを試みたいと思っている。

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▲写真1:ロンドンで泊まった部屋のリビング・ダイニング。ソファーに沿って敷かれたラグが、靴を脱ぎたくなる/靴を脱いでも許されそうな結界を作り出している。(クリックで拡大)

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▲写真2:バースで見学した18世紀の住宅の中の、召使の部屋。食卓の下には、しっかりとラグが敷かれていて、靴を脱ぎたくなるばかりか、思わず寝ころびたくなるような結界を作り出している。(クリックで拡大)

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▲写真3:木材会館の小上り。もともとは、靴を脱いで木材を足裏で感じる博物館として構想したが、現在は靴を脱いで使う会議室として使っていただいている。靴を脱いで板の間にじかに座ると、不思議なことに目が覚め、話に集中できる。会議室しては理想的な空間が生まれている。(クリックで拡大)


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