建築デザインの素 第34回
トイレについて考えてみた
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■チームワーク
組織設計事務所のデザインスタイルを説明する常套句は、「チームワーク」であろうか。1つのプロジェクトに対して、複数のデザイナーやエンジニアが関わり、「ああでもない、こうでもない」と意見を戦わせつつ、時に喧嘩を交えつつ、1つのデザインへと収斂させていく。そのデザインには個々のデザイナーの知を超えた「集合知」が反映され、優れたデザインが生み出されるはずだ、という考え方だ。つまり、チームワークこそが、組織事務所の最大のメリットであるというスタンスだ。
確かに、ぼく自身が関わってきたプロジェクトを振り返ってみても、常に協同するデザイナーやエンジニアがいたし、発表にあたっては少なくとも共同作業をしたデザイナーについては、老若男女に関わらず連名で発表してきた。
例えば、神保町シアタービルではハトリと、木材会館ではカツヤと、ホキ美術館ではナカモト、スズキ、ヤノと、ソニーシティ大崎ではハトリ、イシハラ、カワシマと、といった具合にだ。最近の仕事でも状況は同じで、桐朋学園調布キャンパス1号館ではハトリ、ササヤマ、イシハラと、On the waterではオンダ、アオヤギと一緒にデザインを行った。
メンバーは固定しているわけではなく、だからと言って毎回バラバラなわけでもなく、およそ20名の半固定のメンバーから、プロジェクトが入った段階でチームメンバーを選んで、デザインチームを構成している。もっとも母体となっている20名ほどのメンバーも、時の流れとともに、新陳代謝をして入れ替わっているので、これまで延べ人数で言えば50名以上の社内デザイナーのチームワークの中で、知恵をもらいつつデザインをしてきたのではなかろうか。
■隣の芝生は青く見える
組織事務所のもう1つのメリットは、自分が加わっていない他のデザインチームの仕事を間近で目にすることができ、時にそのデザインに対して、客観的視点からの意見を求められたりする、そういう環境に常時身を置けることにもあると思っている。
実は、これはとても良い刺激になる。いつの世にも、隣の芝生は青く見えるものだ(笑)。「チームワーク」のメリットに比べてあまり注目されていない視点だが、ぼくはこの「相互に刺激しあえる環境」もまた、組織設計事務所の大きなメリットではなかろうかと思っている。
先日も、ハトリが別のチームで面白そうな検討を行っていて、その楽しそうな検討の小自慢話を聞かされた。内容はトップシークレットらしく、残念ながらここでは明かせないのだが、ともかくトイレの在り方についての話であった。
そういえば、設計を始めた頃は、トイレの隅々に至るまでが気になり、やりすぎて逆にバランスを欠いたデザインを提案し、ボスに却下されたりしていたのに、今ではすっかり共同している若いデザイナーに大半を任せ、基本的なプランをチェックし、素材やカラースキームといった見栄えや、照明の位置を確認する程度となっている。ハトリの小自慢で、「トイレもまだまだデザインできる!」と、たたき起こされてしまった。
■飛行機のトイレはすごい!
その後、長崎の現場でタカハシとヒライと打ち合わせるために飛行機に乗り込んだのだが、機内のトイレが気になって仕方がない。トイレにどんなインターバルで人が入っていくのだろうかとか、最大何人が並び、どの程度待たされるとイライラするだろうかとか。しかし考えてみれば、そんなことが自席から簡単に観察できてしまうところにこそ、飛行機のトイレの脅威なる点ではなかろうか?
僕らの世代では、公共のトイレはそもそも男女別で、異性にトイレに入る姿を見られることすらが禁則であった。小学校の時には、男子トイレでは、小便器と大便ブースが別であるため、大便は極めて突出して目立つ行為となり、小学校で男子が大便をすると、なぜかいじめの対象になったりもした。世代により多少のディテールの差異はあるであろうが、一般的な日本人にとって、公共のトイレは男女別で、かつそこに入ることは隠されるべきもので、これらの前提を踏まえ、公共のトイレはデザインをされてきた。
ところがどうだ、飛行機の中のトイレは、公共のトイレにも関わらず、日本の公共トイレの前提をまったく覆した計画となっていること。にもかかわらず、それでいてきちんと成立し、文句なく使われている。これを脅威と言わずして、なんと言おうか。
まず、ブース自体が、男女共用で使われている。トイレも、人目に付く機体中央部に堂々と設置されていて、待ち行列も、ブースへの出入りも丸見えである。中には食事の準備をするパントリーと抵抗なく近接してレイアウトしてあったりする。建築に設置するトイレのプランニングであれば、確実に不合格。クライアントからも大目玉を食らうこと間違いなしだ。
かつて、世界的な建築家、ノーマン・フォスターも、東京のオフィスビルで、飛行機型の男女兼用トイレを提案し、クライアントに受け入れられ、建設したのだが、ユーザーには受け入れられずに、改修を余儀なくされたという話を思い出した。当然、飛行機の機内という特殊な条件を前提に成り立っているのだろうし、抵抗感を感じつつも致し方なく使っている方々も多いのだろうが、それらの前提を加味しても、飛行機のトイレが、あの高級な乗り物の中で、かくも異常な状態で成り立ち、使用者に受け入れられている事実は、ぼくら建築家には驚異的なことに見える。
■男女別が常識、という非常識
そんなことを考えていたら、十数年前、初めて上海を訪れ、クライアントと打ち合わせた時のことを思い出した。クライアントから、「トイレは男女別にするのは当たり前だが、手洗いや、動線も別にするように!」と強く求められたのだ。「当たり前のことを、なぜ?」と思いつつ、打ち合わせの間の休憩時間にトイレに行ってみて驚き、そして合点がいった。
トイレのブースが並んでいる部分こそ男女別になっていたのだが、手洗い部分は男女共用に一カ所にまとめられていた。かつ、手洗いとブースの間に扉はなく、内部が見通せた。トイレブースの扉は、ブースのほぼ全面を覆う日本式のそれではなく、膝高程度から下が大きく解放式のそれだった。正直に言おう。何気なく目を向けてしまった女子トイレのブースの下から、どう見ても女性のものにしか見えない白い足が見えて! その後の僕の記憶は飛んでいる(笑)。
後日、クライアントや事務所の中国人スタッフに聞いてみたところ、当時の中国ではオフィスビルにおいてですらトイレの男女分別が曖昧だったそうで、オフィスのグローバルスタンダード化に向けたホットな話題の1つがトイレの男女分化の徹底であったのだ。同時にこんな指摘も受けた。日本人は中国のトイレの男女未分化に驚くだろうが、中国人は日本人やドイツ人の、風呂場やサウナの男女未分化、すなわち混浴こそ信じがたいのだ、と。
ある人々の間で、かたくなに常識と思われていたものが、別の人々の間では非常識となりえることを、不変と思われたものが実はごく短い歴史しか持たないことを、僕は痛感した。(ちなみに、混浴は日本固有のものと思われるかもしれないが、僕が知っている限りでも、ドイツ語圏や北欧の一部では、混浴がいまだ行われている)。
■21世紀のトイレをチームで考える
今や、男女平等やトランスジェンダーの話を毎日のように新聞紙上で目にする時代となった。加えて、トイレ的空間が担わなければならない機能は、身体などに障害を持った方々などの社会進出の機会が増えるにつれ、多様化が進むに違いない。僕らにとって当たり前の男女のみを分化し、そこに身障者用ブースを独立させて加えたトイレは、実は20世紀に固有のトイレのデザインであり、僕らは時代に即したトイレの在り方を常に模索しなければならないはずだ。
ハトリから受けた刺激を、1人で考えるのはこのあたりが僕の限界。早速、周りにいるスタッフに、日本人のみならず外国人スタッフにも投げ返してみることにしたい。21世紀のトイレを、ダイバーシティを持った多様なチームで同時並行的に考えてみる。それこそが、組織設計事務所のメリットの1つなのだから。
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