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コラム

建築デザインの素 第33回
桜餅を食べつつ、人工知能を想う

「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。

[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。


■道明寺桜餅

桜餅の季節である。 関東育ちの僕にとっては、桜餅と言えば、焼いた皮に餡を包んだ「関東風桜餅」が定番。しかし、子供の頃に食べつくした感もあってか、心がときめかない。それが最近では、関西風の道明寺粉で包まれた桜餅が、関東の和菓子屋でもメインで並ぶようになり、俄然その存在が気になるようになってきた。半透明のなまめかしい姿や、もちもちとした食感、そして桜葉の塩味と餡の絶妙なバランスが醸し出す存在感のまえに、関東風桜餅の淡いアイデンティティなど一気に吹き飛んでしまう。

道明寺桜餅を自宅で食べながら、「今や関東風桜餅は、アイデンティティ・クライシスの縁にあるな」などとしたり顔で考えていた(写真1)。もっとも、その直後に京都に出張へ出かけた際に立ち寄った老舗の和菓子屋に、関東風の桜餅がメインで並べられているのを見て、和菓子自体のアイデンティティ・クライシスを感じてしまったのだが(笑)。

■アイデンティティ・クライシスが、
アイデンティティを確立する

元々は曖昧な「何か」が、「失われてしまうのではないか」という危機に至ることで、逆にその存在意義=アイデンティティが問い質され、強い体系がかたちづくられる、という考え方があるそうだ。つまり、「アイデンティティとは、アイデンティティ・クライシスに際して生まれるのだ」という世界観とでも言おうか。偏屈であるが思考回路が単純な僕には、こんな考え方が好みに合っていて、何でもこの流れで物事を理解してしまおうとする癖がある。

アイデンティティ・クライシスがアイデンティティを成立させたものの代表選手は、日本の神道だと思っている。神道はもちろん、仏教伝来(538年頃)前に日本固有の宗教として存在はしたが、そもそも「神道」という言葉が使われたのは、仏教が伝来してからかなり時間が経ってから(日本書紀720年完成)である。また、その体系も仏教が持つ強靭な体系に触れることで、宗教としての存在意義に危機感を感じた神官たちが、同じ頃神道の体系とその存在意義をまとめ上げたとされている僕のお気に入りの解釈だ。

もっとも学術的に正しいものか否かは承知していないので、これが正しい解釈であると主張する気は毛頭ない。でも、モノつくりを職業とする者の1人として、この「神道のアイデンティティ・クライシスが神道のアイデンティティを成立させた」というストーリー展開は、ストンと腑に落ちる。

こんな具合だから、ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」やフィリップ・アリエスの「子供の誕生」に接したときにも、正気や子供という当たり前と思われていたものがアイデンティティ・クライシスに至り、狂人や大人のアイデンティティの確立を通して逆説的にアイデンティティを確立したのではとの曲解が首をもたげてしまい、著者の真意がまったく読み取れなかった(笑)。もっとも、読み取れなかったのは僕の読解力の不足によるところも大きかったのだろうが。

■人工知能による、人知のアイデンティティ・クライシス

そんな僕には、昨今のAI=人工知能の盛り上がりも、人工知能という新たなアイデンティティの登場により、人間の知能という、当たり前で自明に思われていたものが、アイデンティティ・クライシスに陥っている状況であり、人知のアイデンティティの確立のチャンス到来に思われて仕方がない。

世間では、人工知能の登場を、人類を超える新たな知の登場であると危機感を煽る報道や、2045年には「シンギュラリティ」と呼ばれる「人工知能が人知を超え、独自かつ指数関数的に発展を遂げる」時代が訪れるのではないかとの、悲観的な説が飛び交っている。ホーキンス博士やビル・ゲイツのような現代を代表する知の巨人たちですらが、人工知能の開発に懸念を示している。正に今、人知に対するアイデンティティ・クライシスが迫っているのだろう。

しかし楽観的に先の説を頑なに信じ込んでいる僕には、この人知のアイデンティティの最大の危機こそ、人知がこれまで達しえなかった、より高度な次元でのアイデンティティ獲得の機会が訪れたのではなかろうかと、期待に胸を膨らませている。

考えてみれば、神や宗教の発明も、人知を人為的にアイデンティティ・クライシスに陥れ、人知のアイデンティティの確立を目指したものであったとも解釈できる。またその課題に近づく術の1つが哲学であったのかもしれない。そして人工知能の誕生は、これら宗教や哲学とはまったく違ったかたちでの人知に対するアイデンティティ・クライシスを人類に突き付けている。

人類は人工知能を通して、宗教や哲学で達しえなかった新たなアイデンティティを獲得できるのか? それとも、人工知能は我々の手によって生み出されながらも、人類に代わる新たな知性となるのだろうか? はたまた、人工知能とはそれほどの代物ではなく、人知のアイデンティティの更新は先延ばしとなってしまうのか?

道明寺の桜餅を食べながら、人知のアイデンティティのデザインについて、こんなことを考えてみた(笑)。

イラスト
▲写真1:なまめかしい道明寺の桜餅。(クリックで拡大)


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