建築デザインの素 第8回
「建築を目指して」の旅から、
「建築を楽しむ堕落した旅」へ
「建築デザインの素(もと)」では、建築家の山梨知彦さんに、建築にまつわるいろいろな話を毎月語っていただきます。立体デザインの観点ではプロダクトも建築もシームレス。“超巨大プロダクト”目線で読んでいただくのも面白いかと思います。
[プロフィール]
山梨知彦(やまなし ともひこ)。1984年東京芸術大学建築科卒業。1986年東京大学大学院修了。日建設計に入社。現在、執行役員、設計部門代表。代表作に「ルネ青山ビル」「神保町シアタービル」「乃村工藝社」「木材会館」「ホキ美術館」「ソニーシティ大崎」ほか。 受賞「日本建築大賞(ホキ美術館)」「日本建築学会作品賞(ソニーシティ大崎)」他。 書籍「業界が一変する・BIM建設革命」「プロ建築家になる勉強法」他。
■ウィーンへ向かう飛行機の中で
今、ウィーンへの出張の飛行機の中で、この原稿を書いている。出張の目的は、コンピュータソフトウェア会社との打ち合わせと、建築に関する講演会。2泊4日の駆け足出張だ。
機内放映の映画に目をくれることもなく、今一心不乱にこの原稿を書いているのは、ウィーンでの限られた時間を有効に使いたいからだ。
実は一昨日、これまた同じような内容で、シカゴ、フォートワース、ヒューストンと廻ったアメリカ出張から戻ったばかり。時差ボケも手伝い、体調は最悪。それなのに、今回はどんな建築に巡り合えるだろう? 久々にレッティなどのホラインの作品を巡ろうか? コープヒンメルブラウのルーフトップやレッドブーツなどはまだ残っているのだろうか? やっぱりオットー・ワーグナーやロースは見ておこうか?と、数年ぶりのウィーンに心が弾む。原稿はウィーンで書いても間に合うのだが、ウィーンの時間は建築めぐりに使いたい。なので今、機内で、この原稿を書いている(今、ちょうどロシアの上空だ)。
一昨日までのアメリカ出張では、シカゴではファンズワース邸をはじめとしたミースの作品や、ロビー邸などのライトの作品。フォートワースでは、カーンによるキンベル美術館、ピアノによるその増築、さらにそれらに隣接して建てられた安藤さんによるフォートワース美術館(偶然、隈さんと友人のボグナー君にあった。実は外国で建築を見学中に知り合いの建築家に偶然会うケースは意外に多い。建築家はみんな建築を巡ることが好きなんだろうなあ)などを、超特急で巡ってきたばかりなのに、建築を目指した旅へのモチベーションは衰えないから不思議だ。
■名作建築と裏町の風景
建築のデザインが仕事なので当たり前のことなのだが、こんな具合に僕ら建築家は、建築を目指して旅を強行する。だが、改めて考えてみると飽きずに続けられるのにはそれなりの理由があることに気づいた。それは、旅を重ねるごとに、「建築を目指して」始められた求道的でスパルタンな旅は、いつしか「建築を楽しむ堕落した旅」へと変質していくからに違いない。
学生として学び始めたころや、就職をして駆け出しのころは、明らかに、名作建築を通して何かを学びたいという、高尚な志を持った「建築を目指して」の旅であった。30数年前、まだ学生であった僕の場合には、建築を巡る旅の原点は、コルビュジェの著作や安藤さんの講演の中で語られた旅にあった。当時はヨーロッパまでの往復チケットがまだ30万円ほどした一方、宿代は安く、一日の宿代と食事代が2千円もあれば過ごせた時代だったので、一度ヨーロッパにわたってからは、2,3カ月の貧乏旅行を続けるのが標準的なスタイルであった。入念に下調べをしてみたり、時には放浪してみたりと、貪欲に建築と向き合う貧乏旅行で、食事も宿もギリギリまで削り込んだスパルタンな旅だった。
そんな旅の中で、もちろん名作建築の素晴らしさを実感して多くのインスピレーションを受けた気になったりもするのだが、同時に裏町で出会った何気ない建築に魅せられたり、車窓から見えた予期せぬ風景にやたら感動したり、駅で買い込んだ地元のパンがやたらおいしかったりと、そう、旅の楽しさを学び始める。今でも、二十歳の時に訪れたマドリッドの安宿で通りから聞こえてきたギターを奏でる音や、偶然立ち寄ったプラハの旧市街おとぎの国のような街並みや、モンサンミッシェルに向かう田舎駅で買ったチーズとバターをぶっきらぼうに挟んだだけのバケットの猛烈なおいしさは、昨日のことのように鮮明に頭の中に蘇ってくる。
これらの記憶はある意味で、これまでに巡ってきた名作建築に勝るとも劣らないインスピレーションを僕の人生に与えてくれてきた。アメリカ出張でも、赤身のレアステーキをパクつきながら見た窓からの夜景や、典型的なアメリカ郷土料理を楽しみつつ楽しんだ店の内装や、偶然入ったイタリア料理店で出てきたアーティチョークのフライを楽しみつつ経験したヒューストンの市街地に点在する商業施設の在り方とかそうした記憶が、名作建築の記憶と同様に、僕の建築デザインの素となりそうな気がしている。
こんな経験をするうちに、いつしか、建築を目指していたスパルタンな旅は、人生を楽しむための旅へと変質して来た。若い求道者から見れば、堕落した話にも聞こえるかもしれない。だが建築が人間のためのものであるとすれば、こうした脱線に見える行いにもそこに建築は介在しており、それゆえにそこに建築の本質がみえるのだ! などと遠吠えもしたくなるのだが、そんなことはどうでもいい。やがて若き求道者たちも、この密な味を覚え、やがては堕落した旅を始めるに違いないのだから。
■ホテルでの生活も楽しみの1つ
実はウィーンでも楽しみはさまざまある。ホテルでの生活も楽しみの1つだ。今回は古い建物を改装したホテル。日本では味わえない空間に寝泊まりが出来る。期待に胸が膨らむ。さらに僕は食いしん坊で甘党だから、ヴィナーシュニッツェルやザッハトルテを味わうことも外せないところだ。レストランやカフェの内装がよければさらに味わいも深くなるに違いない。カミさんもいないことだし、ナイトライフも楽しもうか。フッフッフ。かくのごとく、2泊4日の出張への思いは、堕落した方向へと果てしなく広がっていく。
堕落したとはいえ、旅のきっかけや中心となっているのは建築であることは間違いがない。
実は、建築のデザインを仕事にして一番よかったのは、どこへ旅を行っても、どの観光地を訪れてみても、そして何をしてみても、そこに建築が常に介在しているということに気が付けたことだ。建築好きならば、旅のすべてが仕事であり、同時に楽しみとなる。しょぼくれた地方の空港での汚いトイレに入った記憶すら、楽しみに変え、作品へのドライブフォースとすることができる(ということにしておこう)。
僕の上司に、部下に、家族にそして読者のみなさんに言いたい。僕は出張をいいことに、遊びほうけているだけに見えているかもしれない。でも実はこれが、僕の建築デザインの重要な素なのです。「勉強熱心なんだなあ」って思っていただけると光栄です(間もなくトランジット先のヘルシンキに到着)。
|